河出書房新社
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株式会社河出書房新社
Kawade Shobo Shinsha Publishers inc.

河出書房新社 本社
渋谷区千駄ヶ谷2-32-2、2010年平成22年)7月撮影)
種類株式会社
設立1957年昭和32年)5月2日
業種情報・通信業
法人番号3011001005876
事業内容出版業
代表者代表取締役社長:小野寺優[1]
資本金30,000,000円
従業員数77名(2024年4月1日現在)
外部リンク ⇒http://www.kawade.co.jp/
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株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本出版社である。

本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にあるが、2024年3月に移転(5月7日より新宿区東五軒町2-13)が公表された。

3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1 - 3(短歌研究社、2004年 - 2006年)がある。佐佐木幸綱高野公彦小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。
歴史『日本文学全集』全39巻の新聞広告(1967年)。モデルは吉永小百合

1886年明治19年)に河出静一郎(1857年 - 1936年)によって岐阜の「成美堂書店」の東京支店として日本橋に設立されたのが始まりである。当時は教科書学習参考書を中心に出版していたが、農学関係書の刊行が次第に増えていった。

1933年昭和8年)に2代目(静一郎の女婿)の河出孝雄(1901年 - 1965年)が河出書房に改称し、文芸書や思想書を中心に刊行するようになった。1944年(昭和19年)には改造社より文芸雑誌文藝』を買い取った。1945年(昭和20年)の東京大空襲で被災し、千代田区神田小川町に移転する。

1949年(昭和24年)5月に『現代日本小説大系』を廉価版(定価180円)として出版。1ページあたり53銭という手頃感から人気となり、新たな円本ブームの契機となった[2]1950年(昭和25年)に刊行した笠信太郎『ものの見方について』がベストセラーとなる。

1954年(昭和29年)に創業70周年記念企画として総合雑誌『現代生活』の創刊を公告するも、立ち上げの資金を編集スタッフに持ち逃げされた。『現代生活』は『知性』という名で創刊するが、これが遠因となって1957年(昭和32年)に経営破綻、新たに河出書房新社を創設し再建された。同年3月には女性週刊誌の先駆けである『週刊女性』を創刊していたが、倒産に伴い、4号で休刊。同年8月に同誌の編集・発行権を主婦と生活社へ譲渡した。

1965年(昭和40年)、河出孝雄が死去し、河出朋久(1938年 - )が3代目社長となる。1967年(昭和42年)に会社更生法を申請し再度倒産、再建され中島隆之が社長となる。また、子会社「河出ベストセラーズ」を岩瀬順三が1967年に設立。1968年(昭和43年)12月、吉本隆明の『共同幻想論』を刊行する。

1977年(昭和52年)に品川区東大井から新宿区住吉町に移転し、清水勝が社長となる。2年後に千駄ヶ谷に移転し2024年。旧社は登記のみ残し休眠状態だったが、2000年平成12年)から東大井で営業再開した。2007年(平成19年)、新社と業務提携、販売契約を締結した。

1962年(昭和37年)より文藝賞を創設した。同賞を受賞した高橋和巳は主たる作家となる。主なベストセラーとして1981年(昭和56年)、田中康夫なんとなく、クリスタル』(第17回文藝賞受賞作)、堀田あけみ1980アイコ十六歳』(第18回文藝賞受賞作)、1983年(昭和58年)、唐十郎『佐川君からの手紙』、1987年(昭和62年)、俵万智サラダ記念日』。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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