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宝塚サマーフェスタ2013にて
(2013年8月20日)
本名岸本 起由
生年月日 (1963-02-14) 1963年2月14日(61歳)
出身地 日本
大阪府八尾市
血液型A型
言語日本語
方言河内弁
最終学歴此花学院高等学校
師匠河内家菊水
トリオ名菊水丸社中
グループ名菊水丸一座
芸風河内音頭取り(伝統河内音頭継承者)
立ち位置センター
事務所吉本興業
活動時期1980年 -
(初櫓:1972年9月)
過去の代表番組さてはトコトン菊水丸
作品カーキン音頭(シングルCD)
他の活動芸人
配偶者高橋知裕
公式サイトhttps://ameblo.jp/kikusuimaru0214/
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河内家 菊水丸(かわちや きくすいまる、1963年〈昭和38年〉2月14日 - )は、日本の芸人、伝統河内音頭継承者、音頭取り。
新聞詠み(しんもんよみ)河内音頭家元の肩書きでも活動していた。本名は岸本 起由(きしもと きよし)。
吉本興業所属。父は師匠でもある音頭取りの河内家菊水、母はピアノ講師。
現在は京都府相楽郡南山城村に在住。此花学院高等学校(現在の大阪偕星学園高等学校)卒業。
「音頭取り」としての活動と並行しながら、一般社団法人・日本ストリートダンス認定協議会の特別講師[2] や、同府「八尾の魅力大使」「池田音頭大使」[3]「河内音頭記念館 館長」「宝塚市大使」「葛城市相撲館 名誉館長兼観光大使」「南山城村PR大使」「大阪府太陽の塔内部再生事業 広報担当アンバサダー」などを務める。大阪芸術大学教養科の客員教授である。 1963年2月14日に大阪警察病院で出生。1972年9月に9歳で東大阪市弥刀東で初櫓に上がる、小学1年の時に両親が離婚した[4]。
経歴
吉本興業に所属し、1980年のなんば花月が初舞台であるが、デビュー前は心酔していた松竹芸能の劇場で活躍していた鉄砲博三郎門下の生駒一の元に足を運び、河内音頭の口説き(舞台芸としての音頭)のいろはを学んだほか、新世界新花月でも生駒一のギター伴奏を務めていた。
1984年、『新聞詠み』(新聞をもとに音頭取りが憶測や自分の意見を入れて歌う、河内音頭の一流派)を復活させ[5]、以来大阪を拠点に歌う。
エレキギター、シンセサイザーなどを用いて、「グリコ・森永大事件」や「阪神タイガース日本一音頭」(以上は『菊水丸の河内音頭秘蔵コレクション』収録)、「大リクルート事件・江副浩正半生記」や「豊田商事最後の日・永野一男一代記」、「天才漫才師・横山やすし物語」、「浪花の喜劇王・藤山寛美青春編」、「美空ひばり物語」(以上は『河内家菊水丸大全集』収録)、「アントニオ猪木一代記」(『新聞詠み河内音頭 バッド・ニュース アントニオ猪木一代記』収録)など、世相・事件を題材にした曲を発表した。1984年、グリコ・森永事件の犯人が書いた「江崎グリコゆるしたる」という江崎グリコへの脅迫終結宣言にメロディをつけた曲「グリコ事件終結宣言音頭」(上記の「グリコ・森永大事件」とは異なる曲)をカセットテープで発売した[6][7]。そのテープは1994年時点で約1万5000本を売り上げ[6][7]、『おはよう!ナイスデイ』に菊水丸が出演した際にも歌った[8]。この曲を作った際、脅迫終結宣言のメモ書きを道に落としたことにより警察からグリコ森永事件の犯人と疑われ取り調べを受けたことがあるとラジオ番組で告白した[9]。
1990年代前半は海外でのライブも多く、イラク、北朝鮮、ソ連、エジプト、ギリシャ、イタリア、チュニジア、フランス、キューバ、ガダルカナル、北方四島・色丹島、東ティモールなどで行っている。イギリスのテレビ局では特集が組まれ、それを見たBBCからも出演依頼が来た[10]。音楽番組「イースタン・ヒット」に出演した[11]。
1991年、リクルートのアルバイト情報誌「フロム・エー」のテレビCMソング「カーキン音頭」が同年12月時点で8万枚以上[12]、累計では公称20万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、全国区に進出した。過去にリクルート事件をモチーフにした曲を発表した経緯があるが、同社刊行のアルバイト求人誌「フロム・エー」の仕事を受けるという事態となった。またCMが関東ローカルだったこともあり、地元大阪では「なんで菊水丸が急に売れ始めたのか?」と疑問に思った人も多かったという。同年12月、ソ連崩壊直前に、「TBSラジオ開局40周年記念スペシャル 地球の鼓動つたえたい 秋山豊寛と河内家菊水丸のロシア見聞録」の企画で赤の広場でゲリラライブを敢行した[13][14][15][16][17][18][19][20][21]。