かわかみ ゆきえ
河上 幸恵
生年月日 (1967-10-26) 1967年10月26日(56歳)
出生地 日本・兵庫県神戸市
身長162cm
血液型B型
活動期間1983年 - 1987年
2015年 -
活動内容歌手(元アイドル)、元女優
主な作品
ヤヌスの鏡
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河上 幸恵(かわかみ ゆきえ 1967年10月26日 - )は 、日本のラジオパーソナリティ、ボーカリスト。元アイドル歌手・女優。兵庫県神戸市出身。堀越高等学校卒業。身長:162cm、血液型:B型。株式会社MatchWith5Cに所属[1]。 芦屋市で生まれ神戸市で育つ。弟がいる[2]。幼いころから歌手を志望し、1981年、弱冠13歳の時に母親が応募した『スター誕生!』の決戦大会にて『いい日旅立ち』を歌い[2]、第36代チャンピオンに選ばれ[2]、ホリプロと日本コロムビアが獲得。その他レコード会社CBS・ソニー、ポリドールからもスカウトされる。神戸市立友が丘中学校卒業後、上京。1983年に日本コロムビアから「ブルー・エトランゼ」でアイドル歌手としてデビュー。歌唱力の高さで注目を集めた[3]。 同期に森尾由美、松本明子、桑田靖子、吹田明日香、松尾久美子らがいる。 1984年にテクノブームに便乗して、3rdシングル「DO-KI ? DO-KI」をリリース。HP-25という名前(後にツトムと改称)の卵型ロボットとのデュエットが話題となった[2]。計5枚のシングルを出し、いくつかのテレビドラマやバラエティー番組などに出演して活躍したが、1987年に芸能界から引退した[2]。 事務所に衣装代や寮費などを天引きされ、赤字生活だったアイドル時代の話では「ちゃんとお金(経費)を払ってるんだもの」とTVで思わずボヤきながら話してしまった事もあったが、共演していた事務所およびレコード会社の先輩・榊原郁恵のフォローで事態が収束したことがあった。また、当時は演技やバラエティーは苦手だったと雑誌のインタビューで語った[4]。 2019年より神戸のライブハウスを中心にライブ活動を開始。同年4月スタートの『河上幸恵のモーニングコール』(ラジオ関西)でパーソナリティを務める[5]。6月15日、初めての単独ライブを開催[6]。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番 年楽曲タイアップ
来歴・人物
ディスコグラフィ
シングル
全て日本コロムビアからリリース。
11983年
7月21日A面ブルー・エトランゼ三浦徳子高生鷹若草恵AH-353
B面リボンをほどいて小田裕一郎大谷和夫
21984年
2月21日A面春にめざめて馬飼野康二入江純AH-424
B面水で描かれた物語玉置浩二
31984年
7月21日A面DO-KI?DO-KI[7]岩里祐穂岩里未央戸田誠司AH-491
B面カオスの星屑尾関昌也尾関裕司
41984年
12月1日A面ハートのねじ[8]秋元康水谷公生鷺巣詩郎AH-526
B面ピカソのキッス岩里祐穂岩里未央
51985年
5月21日A面心の中のルビー三浦徳子玉置浩二瀬尾一三AH-591
B面卒業してから秋元康国安わたる
HP-25 の名称は、ホリプロ創立25周年にちなんだもの。制作費は5000万円と発表された。
HP-25は解体されて既に存在しない事がTBSラジオ『伊集院光 日曜日の秘密基地』の「秘密キッチの穴」のコーナーで放送され判明した。ちなみに同番組のパーソナリティーである伊集院光が見たものはレプリカだったという事も、番組内の調査で分かった[9]。
アルバム
アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 河上幸恵&若林加奈(2005年12月21日/COCP-33452)
河上と当時同レーベルに所属していた若林加奈との全シングル曲収録のベスト盤
タイアップ曲
1984年ハートのねじライオン「透明ハミガキ・レオ」CMソング
出演
ラジオ
河上幸恵のモーニングコール(2019年4月2日 - 2022年3月31日、ラジオ関西)[5]
河上幸恵のゆる?くふわっと魔法の時間(2022年4月1日 - 、ラジオ関西)
テレビドラマ
ヤヌスの鏡(1985年 - 1986年、CX、大映テレビ) - 西川ルイ 役
月曜ドラマランド「結婚ゲーム2」(1986年、CX)
ドラマ女の手記「涙の伴走・お姉ちゃんもう走れない」(1987年、TX)
テレビその他
ひょうきん予備校(フジテレビ)[2]
他
CM
ライオン 透明はみがき 「レオ」
千寿製薬 目薬 ビドークール
注釈^ 河上幸恵 。MatchWith5C
^ a b c d e f 『昭和40年男』(株式会社クレタパブリッシング)2021年6月号 本人のインタビューより。
^ “伝説のアイドル32年ぶり復活 河上幸恵がラジオ番組”