プロデューサーの「川上一夫」とは別人です。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日[1])は、日本の検察官・弁護士・法学者。
東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが[8]、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した[9]。
人物・来歴
東京都出身[1]。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学法学部に進学。在学中に司法試験合格。
卒業後、司法修習を経て検事任官、派遣留学によりハーバード・ロー・スクールL.L.M.課程修了。
作家の三好徹は実兄[1]。
1976年4月、ロッキード事件の担当検事として、関係資料を入手のため同僚の東條伸一郎とともに渡米した[2]。
弁護士業界について、近年弁護士が実刑判決を受けるケースが増えており、暴力団を除けばわずかな弁護士集団から毎年これだけの実刑判決を受けるような組織はないと批判している[3]。
栗本慎一郎著『間違いだらけの大学選び』の北海学園大学の頁で、憲法の小林直樹と並ぶ法律学の実務を知る看板教授として評価されていた[4]。
真相報道 バンキシャ!のコメンテーターを務めたことで知られ、2009年6月28日放送の同番組内では宮崎県知事の東国原英夫に対し「人気はマスコミ、特にテレビが作り上げたもの」「地方分権だけで国政やっていけない」と批判した[5]。
2002年に妻が脳出血で死去。2007年歌手の千葉紘子と再婚した。
2015年2月7日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去[6]、81歳没[1]。没後に、従三位を追叙された[7]。
学説
略歴
1958年 - 司法修習10期経て検事任官。札幌地検検事
1959年 - 旭川地検検事
1960年 - 東京地検八王子支部検事
1962年 - 東京地検検事
1965年 - 米国留学(ハーバード・ロー・スクール)
1966年 - 法務省刑事局付
1970年 - 法務省刑事局参事官
1971年 - 法務大臣官房参事官
1973年 - 法務省刑事局参事官
1975年 - 東京地検検事(ロッキード事件の捜査に当たる。後に検事総長となる松尾邦弘は、東京地検特捜部で河上の部下であった)
1977年 - 東京地検総務部副部長
1978年 - 法務省刑事局公安課長
1980年 - 法務大臣官房参事官
1981年 - 法務大臣官房会計課長
1983年 - 東京地検特捜部長
1984年 - 佐賀地検検事正
1986年 - 最高検検事
1987年 - 法務省矯正局長
1989年 - 最高検公判部長
1991年 - 退官、弁護士登録(第一東京弁護士会)
1991年 - 北海学園大学法学部教授・同大学院法学研究科教授( - 1996年) 駿河台大学比較法研究所客員教授
1994年6月 - 株式会社ニチレイ監査役