河あきら
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河 あきら(かわ あきら、本名:小川 まり子、1950年7月8日 - )は、日本漫画家千葉県東金市出身。女性千葉県立東金高等学校卒業。
概要

代表作に『BAD・AGEシリーズ』、『故国の歌は聞こえない』、『いらかの波』、『ご町内のミナさん!』など。

高校在学中、菅野誠の主宰するマンガ同人会「ミュータントプロ」に参加。

1968年、『COM』(虫プロ商事)68年8月号付録の別冊「ぐら・こん4」で『秋の使い』が新人賞に入選し、掲載。その後、『COM』では1969年9月号にて、第2回「COM同人誌賞」奨励賞を受賞している。

1969年、『小さな恋の…』で第16回別マ漫画スクール金賞を受賞し、同作を部分修正・改題した『サチコの子犬』が『別冊マーガレット』(集英社)1969年4月号に掲載され、デビュー。

デビュー後、集英社と専属契約し、『別冊マーガレット』を活躍の場とする。1973年7月号に同誌で掲載した『赤き血のしるし』を皮切りに、社会に反逆する若者の群像を描く作品を立て続けに発表。『BAD・AGEシリーズ』と名付けられた一連の作品はそれまでのコメディ路線とは一線を画し、人気を集め、1977年に初めての連載作品となった『いらかの波』を発表。この作品も人気を博した。

1982年に『セブンティーン』(集英社)に掲載された『風の笛』を最後に集英社との専属契約を終えた後、フリーとなり、『月刊プリンセス』(秋田書店)、『週刊少女コミック』(小学館)で作品を発表。『月刊プリンセス』では『朝陽翔び出す!』、『週刊少女コミック』では『ヨッコのときめきシリーズ』をそれぞれ発表したが、いずれの作品も編集の要求から1970年代前半に多かったラブコメ作品となっている。

1984年に『増刊ヤングレディ』第3号で『10年後の子どもたち』を発表以降、活動の場をレディースコミックに移し、以降『BE・LOVE』・『Me-twin』(いずれも講談社)、『jour すてきな主婦たち』(双葉社)、『MAY』(少年画報社)、『プチコミック』(小学館)等で作品を発表。

2010年、『jour すてきな主婦たち』(双葉社)にて、『WONDER!』を連載、2012年、同誌にて、『ただいま'69』を連載中。
作風

コメディタッチとシリアスタッチを使い分ける。

よく取り上げられるテーマとしては、1971年に発表した『居比里が丘の決闘』にて家族の有り様を描いて以降、「家族」「親子」があり、その傾向は「WONDER!」にも引き継がれていた。

レディースコミックに活躍の場を移した後もコメディ、シリアスを描き分けているが、少女漫画が活躍の場であった時は親子関係の視点が子供側からであったのに対し、レディースコミックに活躍の場を移した後は親の視点に立った親子関係が増加傾向にある。1990年代に入ってからの作風は内容はシリアス、表現はコメディという自身の特徴を融合させたような作品が増加している。
画風

人物の描き方は足の長い少女漫画的な絵柄であるが、背景の花などの装飾の少ないシンプルな絵を描く傾向にある。

活動の場をレディースコミックに移した後は、画風もそれまでに比べ線を細くし、人物も縦長の顔にするなど大人向けへの転換を図っている。
エピソード

「墨汁三滴」は表紙は黒一色のクロス布で誌名と号数が白い糸で刺繍されていた。河あきらが毎号、その刺繍を担当していたとのこと。

「すがやみつるblog」
[1]によると、河あきらは高校3年の時点で就職が決まっておらず、卒業後「墨汁三滴」の批評をしていた江波譲二のところにすがやみつる等と共に住み込みのアシスタントになる予定であったが、別マまんがスクールの金賞を取ったためデビューが決まり、アシスタントにはならなかったと回顧している。ただし河あきら自身は、卒業後の進路が決まっておらず、近所の書店に勤めるつもりだったと雑誌のインタビューで答えており、事実は不明。

別マまんがスクールに応募した際にペンネーム(河あきら)しか書かなかったため、編集部では男性と思い込んだ。入選後電話で話して初めて女性と判ったが、既に入選作を掲載した『別冊マーガレット』は印刷されており、そこには男性の作品として批評されていた。

上京後は喫茶店でウェイトレスのアルバイトをする傍ら編集者の紹介で忠津陽子のアシスタントを務め、忠津と同じアパート(第2カトレア荘)の隣に住んでいた大和和紀のアシスタントも務めるようになる。

『別冊マーガレット』専属時代、度々写真が『別マ』に載ったが、長髪・細身・黒のサングラスにジーパンという出で立ちから、一時期、河あきら=男性、という説が読者の間に広がった。当時は「ウルフあき」というニックネームがつけられていた。

『いらかの波』は当初5回読み切りで掲載されたが、人気が出たため長期連載となった。


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