沢蘭子
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さわ らんこ
澤 蘭子
1920年代前半の写真。
本名澤 靜子 (さわ しずこ)
松本 静子 (まつもと しずこ)
澤 志づ子 (さわ しづこ)
別名義泉 らん子 (いずみ らんこ)
泉 蘭子 (いずみ らんこ)
澤 らん子 (さわ らんこ)
生年月日 (1903-07-25) 1903年7月25日
没年月日 (2003-01-11) 2003年1月11日(99歳没)
出生地 日本 宮城県仙台市東六番丁(現在の同県同市宮城野区東六番丁)
死没地 日本 京都府京都市下京区
職業俳優
ジャンル少女歌劇劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間1919年 - 1955年
配偶者松本四良 (離婚)
美濃部進 (内縁・離別)
近衛秀麿 (内縁・離別)
著名な家族近衛曄子 (夭折)
主な作品
『恋慕地獄』
『籠の鳥』
女殺油地獄
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澤 蘭子(さわ らんこ、1903年7月25日 - 2003年1月11日)は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。新漢字表記沢 蘭子[2][4][5][6][8]。出生名澤 靜子(さわ しずこ)[1]、松本四良との婚姻時の本名は松本 静子(まつもと しずこ)[2][7]、死去時の本名は澤 志づ子(さわ しづこ)[3]、旧芸名泉 らん子(いずみ らんこ)[1][2]、泉 蘭子(いずみ らんこ)[4]、澤 らん子(さわ らんこ)[4][5]帝国キネマ演芸が製作・配給して大ヒットとなったサイレント映画『籠の鳥』(1924年)のヒロインとして知られる[3]
目次

1 人物・来歴

1.1 宝塚少女歌劇団と10代での結婚

1.2 帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田

1.3 近衛秀麿との出逢いと別離


2 芸名

3 宝塚少女歌劇団時代の主な出演

4 フィルモグラフィ

4.1 日活向島撮影所

4.2 帝国キネマ芦屋撮影所

4.3 日活大将軍撮影所

4.4 日活太秦撮影所

4.5 帝国キネマ演芸

4.6 松竹蒲田撮影所

4.7 ゼーオー・P.C.L.系

4.8 戦後


5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

人物・来歴
宝塚少女歌劇団と10代での結婚

1903年(明治36年)7月25日宮城県仙台市東六番丁(現在の同県同市宮城野区東六番丁)に生まれる[1][2][3][7]。父は漢学者の澤幸次郎である[2]。出生名については、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では「澤 靜子」とされ[1]、死去時には本名は「澤 志づ子」である旨の報道がなされている[3]

父の実家のある千葉県千葉市で育ち、旧制・千葉市立蘇我小学校(現在の千葉市立蘇我小学校)を卒業し、1916年(大正5年)4月、東京に移り、旧制・東京家政女学校(現在の豊島岡女子学園高等学校)に進学する[1][2]1919年(大正8年)5月に、同校を中途退学して、同年1月に設立された寶塚音樂歌劇學校(現・宝塚音楽学校)に入学する[1][2][10]宝塚歌劇団9期生。同期生に桂よし子門田芦子巽寿美子奈良美也子らがいる。芸名は小倉百人一首の第27番:中納言兼輔の「甕原 わきて流るる 泉川 何時見きとてか 戀しかるらむ (みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ)」から、泉 蘭子と命名した。1920年大正9年)3月に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)において、第25回公演『毒の花園』で初舞台を踏み[11]娘役として活躍する。1921年大正10年)7月の夏季公演第一部では『ネヴヰーライフ』に平和の女神役で主演したが[10]、同年、作曲家の松本四良との恋愛が問題になって、宝塚少女歌劇団を退団した[1][12]。同年、満18歳で松本と結婚している[12]
帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田

やがて東京に戻り、1923年(大正12年)3月に松竹蒲田撮影所に入社、早くも同年6月には日活向島撮影所に移籍[1][2]、同年6月14日に公開された若山治監督の『火焔を浴びて』に「澤 らん子」の名で出演したが[4]、同年9月1日に起きた関東大震災に被災した同撮影所は壊滅した。


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