沢田泰司
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同じ芸名「TAIJI」を持つギタリスト「藤本泰司」とは別人です。
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沢田 泰司
出生名沢田 泰司(さわだ たいじ)
別名TAIJI
沢田 大司
生誕 (1966-07-12) 1966年7月12日
出身地 日本 千葉県市川市
死没 (2011-07-17) 2011年7月17日(45歳没)
北マリアナ諸島 サイパン島 コモンウェルス・ヘルスセンター
ジャンルロック
ヴィジュアル系
ハードロック
ヘヴィメタル
グラムロック
職業ベーシスト
ギタリスト
ソングライター
宝飾デザイナー
担当楽器ベース
ギター
ピアノ
キーボード
コーラス
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オフィスT

T-Fenix (2006 - 2007)

YOUプロダクション (2011)

共同作業者X JAPAN
LOUDNESS
D.T.R(Dirty Trash Road)
新D.T.R(Death to Rive)
Kings
Cloud Nine
音風
THE KILLING RED ADDICTION
TAIJI with HEAVEN'S
TSP(TAIJI & Shu Project/Tribal Scream of Phoenix)
公式サイト ⇒沢田泰司(TAIJI)のオフィシャルブログ 【PLAYERS FUTURE】
TAIJI公式チャンネル「PLAYERS FUTURE」 - プレイヤーズTV
ディープ・パープル
レインボー
LOUDNESS
レッド・ツェッペリン
ANTHEM
ジューダス・プリースト

沢田 泰司(さわだ たいじ、1966年〈昭和41年〉7月12日 - 2011年〈平成23年〉7月17日)は、日本ロックベーシストミュージシャン千葉県市川市出身。通称はTAIJI。X(現・X JAPAN[1]を経てLOUDNESSD.T.Rなどで活動した。身長173cm、体重55kg、血液型A型(長年B型と思っていたが、1991年渡米中に受けた検査によりA型だと判明した。)[2]。尚、TAIJIの死後、HIDEと同様、正式メンバーと数えられているような形式がX JAPANオフィシャルサイト等でとられている。愛称は「たいちゃん」。
概要

X?LOUDNESS?D.T.R?Cloud Nine?THE KILLING RED ADDICTION、TAIJI with HEAVEN'S、TSP のベーシストギタリストアレンジャー作曲家

呪文降臨?マジカル・フォース」などを唄うSister MAYOは実妹である。

ベースのみならずギターもプレイし、X在籍時からアコースティックギターによる楽曲も数多く残している。活動の詳細は後述する。

芸名については「Ray」(ディメンシア)、「TAIJI」(X、Cloud Nine)、「沢田泰司」(LOUDNESS加入以降)、「沢田大司(読みは本名と同じ)」。晩年は基本的にX時代の「TAIJI」または本名である「沢田泰司」を使用していた。

Xメジャーデビュー時に結婚。一男一女をもうけたが、後に離婚。

ファンクラブは「ガソリン・カウボーイ」。元々は沢田の個人ファンクラブだったが、後にD.T.Rのファンクラブとしても活動し始めた。後に解散。

最後の活動として、TAIJI with HEAVEN'Sが韓国にて海外公演を行う(現在もHEAVENSは活動中)。

趣味・特技のひとつに料理があり、プロ級の腕前を持っていた。
来歴

1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。3人
兄弟姉妹の次男で、兄と妹がおり、妹は先述の通り、歌手のSister MAYO。2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。

1974年、小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3か月後のクラス会で初ステージ。曲は「禁じられた遊び」(正確には映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」)」だった。

1979年-、中学生になると家庭の事情(両親が離婚し母親が再婚した)から非行に走る。

1982年千葉明徳高等学校に進学して、エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになる。同時にバンドも組み、アイアン・メイデンレインボーディープ・パープルキッスモーターヘッド、LOUDNESS、子供ばんどなどのコピーにいそしむ。プロのミュージシャンになるため僅か一年で中退。この時、「TRASH トラッシュ」というバンドを結成してギターを担当する。同時期メンバーにLADIES ROOMHyakuが在籍していた。沢田の作ったオリジナル曲でコンテストを勝ち抜いた。またベスト・ギタリスト賞も受賞。

1984年、友人のバンド「DEMENTIA」(ディメンシア)でベースをプレイしたことがきっかけで、ベーシストへ転向。ディメンシア時代はRayと名乗っていた。その後、ディメンシア脱退後は「PROWLER」(プローラー)に加入するも、リーダーの青木セイブンと反りが合わず、ライブを一度も行うことなく脱退。また家も勘当され、一時期渋谷のラブホテルで住み込みのアルバイトをして暮らしていた。

1985年、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入。当時、沢田はXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、沢田の推薦するギタリスト(現UNITEDの吉田Hally良文)と交代させることを条件にXに加入することになったと語っている[3]。その後一度脱退しているが、1986年に再加入している。この時のXは、インディーズの頃からメンバーに課せられる出費が大きく、とてもアルバイトでは追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまで費用を工面していた。

1989年、Xメジャーデビュー。


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