沢村貞子
[Wikipedia|▼Menu]

さわむら さだこ
沢村 貞子
おかあさん』(1952年)
本名大橋 貞子(おおはし ていこ)
生年月日 (1908-11-11) 1908年11月11日
没年月日 (1996-08-16) 1996年8月16日(87歳没)
出生地 日本東京府東京市浅草区猿若町
(現・東京都台東区浅草
死没地 日本神奈川県横須賀市
職業女優エッセイスト
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1929年 - 1989年
配偶者今村重雄1931年 - 1933年
藤原釜足1936年 - 1946年
大橋恭彦1968年 - 1994年)死別
著名な家族父:竹芝傳蔵
姉:矢島せい子
兄:四代目澤村國太郎
弟:加東大介
甥:長門裕之
甥:津川雅彦
姪:加藤勢津子
主な作品
映画
西鶴一代女』 / 『三等重役』 / 『晩菊
赤線地帯』 / 『太陽とバラ
お早よう』 / 『駅前シリーズ』テレビドラマ
となりの芝生』 / 『花へんろ

 受賞
日本アカデミー賞
会長特別賞
1997年
その他の賞
毎日映画コンクール
女優助演賞
1956年『赤線地帯』『太陽とバラ』『現代の欲望』『妻の心

テンプレートを表示

沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本女優随筆家。本名は大橋 貞子(おおはし ていこ)。

生涯に350本以上の映画に出演し、幅広い役柄と個性的な演技で名脇役女優として活躍した。日本女子大学在学中に新築地劇団へ入り、左翼演劇運動に加わって2度逮捕される。その後日活に入社して映画女優となり、東宝を経て戦後はフリーとなる。エッセイストとしても知られ、半生記『貝のうた』『私の浅草』などを発表している。
来歴
生い立ち

1908年(明治41年)11月11日東京府東京市浅草区猿若町(現・東京都台東区浅草)に、父・加藤伝九郎と母・マツの2男2女の二女として生まれる[1]。父の伝九郎は竹芝傳蔵の名で活躍した狂言作者で、兄の友一は四代目澤村國太郎、弟の徳之助は加東大介の芸名で、ともに映画俳優となった。数え年で6歳の時から長唄踊りを習い始める[1]

1915年(大正4年)、浅草尋常小学校に入学。この頃に弟の徳之助(加東大介)が7代目澤村宗十郎に入門して初舞台を踏んでおり、貞子は小学2年生の頃から弟の付き人として宮戸座へ通う[1]1921年(大正10年)4月に府立第一高等女学校(現在の東京都立白?高等学校)に入学。1923年(大正12年)9月1日関東大震災後は、学費を得るために初代澤村宗之助の4人の子供(文恵、恵之助雄之助、敞之助[注釈 1])の家庭教師を務める[2][3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:78 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef