沖電気工業株式会社
Oki Electric Industry Company,Limited
本社が入居する虎ノ門ファーストガーデン
種類株式会社
市場情報東証プライム 6703
沖電気工業株式会社(おきでんきこうぎょう)は、東京都港区虎ノ門に本社を置く、通信機器、現金自動預け払い機(ATM)等の情報機器を主体に製造する電機メーカーである。通称「OKI」、「沖電気」。東京証券取引所プライム市場上場。芙蓉グループに属する。 日本最初の通信機器メーカーとして1881年(明治14年)創業以来、130年以上の歴史をもつ。長年にわたり電話交換機の製造を行ってきた経緯から、いわゆる「電電ファミリー」と呼ばれる企業であり、旧・日本電信電話公社以来の関係から、日本電信電話株式会社・NTTグループとの関係が強い。 近年、企業スローガンを「Open Up Your Dream」とし、ユビキタス社会の実現と「安全、安心、豊かな社会」への貢献を目ざし、NGN、インターネット、セキュリティ、ソフトウェア、サービスなど、情報と通信が融合した新たな分野へ事業領域を拡大している。
概要
沿革
1881年 - 沖牙太郎により明工舎を設立、創業。
1885年 - 東京市京橋区京橋弓町(現・中央区銀座)にメッキ工場を開設。
1886年 - 同・京橋新富町に製線工場、南伝馬町に支店を開設。
1889年 - 明工舎を沖電機工場と改称。
1896年 - 国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社・東京浪花町分局に納入。
1898年 - アメリカ合衆国のウェスタン・エレクトリックと合弁企業設立の交渉を行うが、条件が折り合わず不成立となる[1]。
1907年 - 合資会社沖商会に改組、沖タケを代表社員に、浅野総一郎(浅野財閥創始者)が相談役に就任。
1910年 - 本店、営業所を芝区田町四丁目に移す。
1912年 - 沖電気株式会社設立。
1917年 - 沖商会を合併。
1919年 - 大崎工場を開設。
1925年 - 元逓信次官の内田嘉吉が顧問に就任。
1927年 - 東京市芝区西芝浦に芝浦工場(旧東京工場、後の旧6号別館)を開設。
1930年 - 二代目浅野総一郎(浅野泰治郎)(浅野財閥総帥二代目)が会長に就任[2]。
1949年 - 企業再建整備法により沖電気を解散し、第二会社として沖電気工業株式会社を設立。
1951年 - 東京証券取引所上場。
1956年 - クロスバー交換機を日本電信電話公社(現・NTT)に納入。
1958年 - 群馬県高崎市に情報処理機器の工場として高崎工場開設。
1961年 - 東京都八王子市に半導体工場開設、トランジスタの生産開始。またトランジスタ式コンピュータOKITAC 5090を発売。
1962年 - 埼玉県本庄市に通信機器の工場として本庄工場開設。
1963年 - スペリーランド社と技術提携契約を結び、沖ユニバック株式会社を設立。
1971年 - オンライン現金自動支払機(CD)を富士銀行に、D10デジタル局用交換機を電電公社に納入。
1976年 - 初の外債1500万ドルを発行。
1980年 - 超LSI生産会社である宮崎沖電気株式会社(現・ラピスセミコンダクタ)工場完成。
1982年 - 世界初の紙幣環流機能付きATM「AT-100シリーズ」を発売。
1982年 - 10月に宮崎沖電気で工場火災発生。以後、10月3日が沖電気防災の日となる。
1986年 - 埼玉県蕨市にソフトウェアの開発拠点システム開発センタ開設。
1990年 - 発光ダイオードを光源に用いたページプリンター発売。
1992年 - 保守サービス事業会社として株式会社沖電気カスタマアドテックを設立。
1994年 - ページプリンターの事業会社として株式会社沖データを設立。
1998年 - 篠塚勝正が社長に就任。「強みを生かせる事業ドメインへの集中」を目的とした「フェニックス21計画」を策定[3]。
1999年 - 東芝より国内民間向け金融自動化機器事業を譲受。
2000年 - サービス部門の一部を株式会社沖コムテックへ譲渡。
2001年 - カーエレクトロニクス