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沖縄県第3区
行政区域名護市、沖縄市、うるま市、国頭郡、島尻郡伊平屋村・伊是名村
(2024年1月1日現在)
比例区九州ブロック
設置年1994年
(2002年区割変更)
選出議員島尻安伊子
有権者数31万8028人
1.403 倍(一票の格差・鳥取1区との比較)
(総務省・2023年9月1日)
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沖縄県第3区(おきなわけんだい3く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。 2013年(平成25年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。 2002年(平成14年)公職選挙法改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3]。 2000年の国勢調査をもとにした2002年の議員定数是正とそれに伴う区割り見直し(いわゆる4増4減)で沖縄県は人口増加で選挙区が1つ増え4選挙区となった。そのため選挙区域も見直され本島中部の半分が浦添市や宜野湾市を中心とした2区へ移動、中部では沖縄市・具志川市・石川市・与勝半島(与那城町・勝連町)(沖縄市を除く自治体は2005年にうるま市となる)の北東部分だけとなった。以降沖縄市とうるま市、そして本島北部の選挙区となった。 1994年(平成6年)公職選挙法改正から2002年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[4]。 1994年に衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制になった際に区割りが制定。従来の中選挙区制では沖縄県は参議院同様県全域を一選挙区とする「沖縄全県区」だったため、国政選挙で初めて複数の選挙区となり3つに分かれた(沖縄県における戦後の国政選挙参加は本土復帰前の1970年の国政参加選挙から)。当時の区域は中城村・北谷町以北の沖縄本島中北部で、導入初の選挙だった1996年10月の第41回衆議院議員総選挙と次の2000年6月の第42回衆議院議員総選挙はこの区域で行われた。 当選挙区内には普天間基地移設問題において普天間基地の移設先とされている名護市辺野古があり、選挙では基地移設問題が争点の一つとなることが多い。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では社会民主党の上原康助が当選したが、2000年の第42回衆議院議員総選挙では社民党は1998年に民主党に入党した上原に代わり沖縄県副知事を務めた東門美津子を公認し、東門は上原らを破り初当選した。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では過去2回の総選挙で比例復活していた自由民主党の嘉数知賢が東門を破り、東門は比例復活に回ったが、2005年の第44回衆議院議員総選挙では郵政解散により自民党に追い風が吹いた影響で嘉数は東門の比例復活を許さずに当選した。 しかし、2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党の玉城デニーが初当選し、嘉数は比例復活出来なかった。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では自民党新人の比嘉奈津美が日本未来の党に移った玉城を破り自民党の議席を奪還した。玉城は比例九州ブロックで復活当選し、この選挙において西日本の小選挙区では亀井静香とともに日本未来の党の議席となった。 2014年の第47回衆議院議員総選挙では生活の党に移った玉城が翁長雄志沖縄県知事や翁長を支援しているオール沖縄の支援を受けて、比嘉から議席を取り返した。この選挙では沖縄県の4つの小選挙区で落選した候補者は比嘉を含め全員比例復活したため、県内の小選挙区で立候補した全員が当選するという珍しい現象が起こった。 2017年の第48回衆議院議員総選挙では自由党の党籍を残したまま無所属で立候補した玉城が前回に引き続き野党統一候補として立候補し、比嘉の比例復活を許さずに当選した。 2018年(平成30年)9月13日に玉城が翁長の死去に伴い行われた沖縄県知事選挙に立候補したことにより失職した[5]。これにより、同年10月28日に補欠選挙が行われる予定であったが、第48回衆議院議員総選挙の一票の格差をめぐり選挙の無効を求める訴訟の判決が9月15日までに確定しなかったため実施されず、補欠選挙は2019年(平成31年)以降にずれ込むこととなった[6]。
区域
現在の区域
名護市
沖縄市
うるま市
国頭郡
島尻郡
伊平屋村
伊是名村
石川市
具志川市
名護市
沖縄市
国頭郡
中頭郡
与那城町
勝連町
島尻郡
伊平屋村
伊是名村
2002年以前の区域
石川市
具志川市
名護市
沖縄市
国頭郡
中頭郡
与那城町
勝連町
読谷村
嘉手納町
北谷町
北中城村
中城村
島尻郡
伊平屋村
伊是名村
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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