糸満線
当時の糸満駅
概要
現況廃止
起終点起点:国場駅
終点:糸満駅
駅数11駅
運営
開業1923年7月11日 (1923-07-11)
運行停止1945年3月 (1945-3)
所有者沖縄県
使用車両沖縄県営鉄道#車両の節を参照
路線諸元
路線総延長15.0 km (9.3 mi)
軌間762 mm (2 ft 6 in)
電化全線非電化
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停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
0.0国場駅
8.5東風平駅
10.6世名城駅
12.3高嶺駅
13.9兼城駅
15.0糸満駅
糸満線(いとまんせん)は、現在の沖縄県那覇市にあった国場駅と、糸満市にあった糸満駅を結んでいた、沖縄県営鉄道の鉄道路線。1923年(大正12年)に県営鉄道3番目の路線として開業したが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止。沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。 運行停止時点 運行停止時点 国場駅(こくば) - 津嘉山駅(つかざん) - 山川駅(やまがわ) - 喜屋武駅(きゃん) - 稲嶺駅(いなみね) - 屋宜原駅(やぎばる) - 東風平駅(こちんだ) - 世名城駅(よなぐすく) - 高嶺駅(たかみね) - 兼城駅(かねぐすく) - 糸満駅(いとまん)
路線データ
路線距離:国場 - 糸満 15.0km
軌間:762mm
駅数:11(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史
1923年(大正12年)7月11日 国場 - 糸満間が開業。津嘉山駅・山川駅・喜屋武駅・稲嶺駅・東風平駅・世名城駅・高嶺駅・兼城駅・糸満駅を開設
1934年(昭和9年)5月 屋宜原駅を開駅[1]
1945年(昭和20年)3月 運行を停止
駅一覧
接続路線
国場駅:沖縄県営鉄道与那原線
糸満駅:糸満馬車軌道
備考
那覇から糸満までは直線距離だと約10km位であるが、糸満線は東に大きく迂回する経路をとっている。また、山川駅 - 稲嶺駅間では当時の有力者で医師・県会議員の大城幸之一が自分の出身地へ線路を曲げたため、南から北へわざわざ戻るような軌道の敷き方がされていた。このカーブは「幸之一カーブ」と呼ばれた。
終点の糸満駅は北緯26度7分49 - 50秒の位置にあったと推定され、外地を除くと日本最南端の駅であった[2]。この記録は現在も破られていない(現在の最南端駅は北緯26度11分36秒の沖縄都市モノレール線赤嶺駅)。なお、跡地には駅の便所と見られる構造物が残っている[3]。
脚注[脚注の使い方]^ 今尾 (2009)。鉄道省 (1937) に掲載なし
^ 外地を含むと台湾の屏東線枋寮駅が1941年(昭和16年)12月の開業から1944年(昭和19年)11月の路線休止まで最南端駅であった。
^ 「沖縄県営鉄道」『鉄道データファイル』82号、デアゴスティーニ・ジャパン、2005年。
参考文献
今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(覆刻:1986年)、441頁。ISBN 4-88540-048-1。
帝国鉄道協会(編纂)『帝国鉄道年鑑』(昭和3年版)帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、442-443頁。
関連項目
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故