沖洲地区
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「沖洲町」とは異なります。

沖洲地区
おきのす
日本
地方四国地方
都道府県徳島県
自治体徳島市
旧自治体名東郡沖洲村の大半・板野郡川内村の小半
世帯数7,551世帯
総人口17,680人( ⇒徳島市情報推進課、2011年8月1日)
隣接地区川内地区津田地区昭和地区渭東地区
徳島市役所沖洲支所
所在地〒770-8076
徳島県徳島市北沖洲3丁目4番7号
リンク ⇒沖洲支所公式ページ
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沖洲地区(おきのすちく)は、徳島市の行政上の地区である。徳島市の東岸に位置する。

1926年に徳島市に編入された旧沖洲村と、大まかな位置は一致するが、範囲はややことなる。
地理

吉野川デルタ最下流部に位置し、かつての湿地帯や浅海が、近世以降の自然堆積干拓埋立で陸地化した土地である。

北は吉野川、南は新町川で限られる。西には沖洲川が流れるが、沖洲地区のうち末広南末広町は沖洲川の対岸にあり、福島などと陸続きである。東は紀淡海峡に面すが、東沖洲は陸続きでなく、沖合いの人工島である。

大半は住宅地。県道38号/204号などの幹線道路沿いは商業地が広がり、東沖洲は工業地である。

唯一陸上で接する西の渭東地区との境界は町境と一致せず、安宅三丁目の一部も沖洲地区に含まれるが、この境界は旧徳島市・沖洲村間の市町村境とほぼ一致している。

人口は徳島市による推計[1](2011年8月)。

町丁丁目・小字人口注記
末広一?五丁目05332
南末広町02306
南沖洲一?三丁目03500
北沖洲一?三丁目05112
東沖洲一?四丁目00000
金沢一?二丁目01322
安宅三丁目 6番00108一?三丁目のうち。
計17680

地形

河川

吉野川

新町川 - 吉野川の支流。

沖洲川 - 吉野川から分流し新町川に合流する。




マリンピア沖洲 - 埋立地。本土と陸続きにする計画あり。




紀淡海峡



沖洲川

マリンピア沖洲

隣接地区

川内地区
渭東地区
   沖洲地区   

昭和地区津田地区

産業

砂地を利用して渭東ねぎの栽培が盛んである。

東沖洲の埋立地は工業用地になっている。
歴史

段階的に堆積干拓埋め立てされてきた地区で、ほとんどはかつての河や海である。1646年の古地図「忠英御代御山下画図」では、金沢末広は沖洲川の河道で、南北沖洲の東半分と東沖洲は海だった。

1926年に徳島市に編入された旧沖洲村とおまかに一致するが、沖洲村の大字大岡浦(現 住吉城東町)は除外される。逆に、1928年の市町村境変更で徳島市に編入された旧川内村大字金沢新田(現 金沢)を含み、また、東沖洲1986年以降の埋立地である。
年表

0
896年00月00日 - 名方郡名東郡名西郡に分割。

1854年00月00日 - 安政南海地震津波の被害を受けた。蛭子神社に碑「百度石」が残る。

1889年10月01日 - 町村制施行に伴い、名東郡沖洲村板野郡川内村が成立。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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