日本の政治家沓梶B哲男くつかけ てつお
国家公安委員会委員長として初入閣した際の肖像画像
生年月日 (1929-09-12) 1929年9月12日
出生地 日本 石川県金沢市
没年月日 (2024-01-30) 2024年1月30日(94歳没)
死没地 日本 東京都
出身校東京大学工学部卒業
前職建設省技監
所属政党(自由民主党(町村派)→)
民主党
称号従三位
旭日大綬章
工学士(東京大学・1953年)
第73代 国家公安委員会委員長
内閣府特命担当大臣(防災)
内閣第3次小泉改造内閣
在任期間2005年10月31日 - 2006年9月26日
衆議院議員
選挙区比例北陸信越ブロック
当選回数1回
在任期間2009年8月30日 - 2012年11月16日
参議院議員
選挙区石川県選挙区
当選回数4回
在任期間1986年7月8日 - 1998年7月25日
2000年6月 - 2007年7月28日
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沓梶B哲男(くつかけ てつお、1929年9月12日 ‐ 2024年1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。
参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。 1986年と1992年の参議院議員通常選挙に当選した。1998年には落選するも、2000年の参議院議員補欠選挙で復帰し、2001年の通常選挙も当選した。その間は自由民主党に所属し、党内派閥では清和政策研究会に属した。その間、通産政務次官、環境副大臣等を歴任。 2005年10月31日の第3次小泉改造内閣で、国家公安委員会委員長として初入閣し、併せて有事法制担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当)も兼任した。 2006年、高齢を理由に党県連が候補差し替えを決定したため、引退を表明した。その後、2007年に党決定に反旗を翻し、県政の中心勢力である新進石川の支援による無所属での立候補を検討したが、最終的には断念した。 2009年の第45回衆議院議員総選挙において、民主党公認で比例北陸信越ブロックの単独候補として立候補、当選(当該選挙の最高齢当選者となる)。 また、金沢工業大学にて客員教授に就任している。教員としての専門分野として、総合交通対策、道路計画及び建設、防災政策、環境政策などを挙げている[1]。 2012年、第46回衆議院議員総選挙には立候補せず政界を引退。旧制中学校及び旧制高等学校出身者としては最後の国会議員であった。 政治家としての想いは「艱難汝を玉にす」である。 2024年1月30日、東京都の病院で心不全のため死去した[2][3]。94歳没。死没日付をもって正三位に叙された[4][5]。
来歴・人物
略歴
1929年 - 誕生
1950年 - 第四高等学校卒業
1953年 - 東京大学工学部(土木工学)卒業
1953年 - 建設省入省
1971年 - 大臣官房政策企画官
1977年 - 道路局有料道路課長
1979年 - 道路局道路企画課長
1980年 - 大臣官房技術参事官
1981年 - 東北地方建設局長
1982年 - 道路局長
1984年 - 建設技監
1985年 - 建設省退官
1986年 - 参議院議員通常選挙初当選
1992年 - 参議院議員通常選挙再選
1998年 - 参議院議員通常選挙落選
2000年 - 参議院議員補欠選挙3選
2001年 - 環境副大臣
2001年 - 参議院議員通常選挙4選
2005年 - 国家公安委員会委員長、有事法制担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当)
2009年 - 第45回衆議院議員総選挙当選
2024年 - 死去[3]
栄典
2007年 旭日大綬章受章
論文
1971年 「有料道路事業の発展とその意義(一般有料道路特集)」『高速道路と自動車』14(11)
1977年 「建設技術研究開発(昭和52年度道路関係予算)」『道路』(通号434)
1978年 「有料道路整備資金融資事業(昭和53年度道路関係予算)」『道路』(通号446)