沈黙交易(ちんもくこうえき、英: Silent Trade, dumb barter, depot trade)は、交易の形態のひとつ。日本語では無言交易、沈黙取引、無言取引などの表記も見られる。共同体が、外部とのコミュニケーションを出来るだけ避けつつ外部から資源を得るための方法として、世界各地で用いられた[1]。 一般的には、交易をする双方がなるべく接触をせずに交互に品物を置き、双方ともに相手の品物に満足したときに取引が成立する。交易の行なわれる場は中立地点であるか、中立性を保持するために神聖な場所が選ばれる。言語が異なるもの同士の交易という解釈をされる場合があるが、サンドイッチ諸島での例のように言葉が通じる場合にも行なわれるため、要点は「沈黙」ではなく「物理的接近の忌避」とする解釈もある[2]。 フィリップ・ジェイムズ・ハミルトン・グリァスンは、世界各地の沈黙交易を研究し、人類史における平和が、市場の中立性や、異人(客人)の保護=歓待の仕組みに深くかかわっていると述べた[3]。カール・ポランニーは、沈黙交易について、掠奪による獲得と交易港による平和的な交易の中間に位置する制度とした[4]。ピーター・バーンスタインは貿易商人たちに捕えられて奴隷にされることを避けるためと推測しており[5]、商人の側としてはアフリカ人のもたらす金を何としても手に入れたいため、この奇妙なやり方に従うしかなかったとしている。 日本での沈黙交易の最古の記録としては、『日本書紀』の斉明天皇6年(660年)3月の条における阿倍比羅夫が粛慎と戦う前に行なった行為があげられる。鳥居龍蔵は北東アジア全般に沈黙交易が存在したと論じた[6]。南方熊楠は、中国の『五雑俎』にある『歳時記』や『番禺雑記
概要
日本における研究
椀貸伝説を「沈黙交易」と見なすかについては、戦前から論争があった。1917年(大正6年)に鳥居龍蔵が椀貸伝説を沈黙交易であると指摘すると、1918年(大正7年)に柳田は反論し、椀貸伝説は異郷観念の表現形態であり、竜宮伝説や隠れ里伝説に類する信仰現象であるとした。椀貸伝説の沈黙交易説は戦後も論争が続き、1979年に栗本慎一郎は『経済人類学』において椀貸し伝説は沈黙交易であり、さらに交易の原初的形態と指摘した[10]。沈黙交易を交易の原初的形態であるとする説に対しては、同年に岡正雄は沈黙交易は交易の原初的形態ではなく交換の特殊型であるとし、客人歓待を前提とした好意的贈答の習慣であると指摘した[9]。
新井白石が『蝦夷志』に記録しているアイヌ同士の交易も沈黙交易とされ、道東アイヌは米、塩、酒、綿布など、千島アイヌはラッコの皮などを交換に用いた。アイヌによる沈黙交易は、この他に樺太アイヌとツングース系民族・山丹人(山丹交易)、アイヌとオホーツク人[11]・ニヴフなどの間にも行われている。14世紀の中国で熊夢祥(中国語版)が書いた『析津志(中国語版)』にもその記録がある[12]。アイヌ伝説に登場する小人・コロポックルの起源が千島アイヌの沈黙交易にあるとし、千島アイヌの沈黙交易は疱瘡をはじめとする疫病の侵入を防ぐために行われたという説もある[13]。