沈鴻英
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沈鴻英

プロフィール
出生:1871年同治10年)
死去:1938年民国27年)
イギリス香港
出身地: 広西省柳州府雒容県(現在は雒容鎮)
職業:軍人
各種表記
繁体字:沈鴻英
簡体字:沈?英
?音:Sh?n Hongy?ng
ラテン字:Shen Hung-ying
和名表記:しん こうえい
発音転記:シェン ホンイン
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沈 鴻英(しん こうえい)は清末民初の軍人。桂軍(広西軍、広西派)の指導者の1人で、陸栄廷を中心とする「旧広西派」と呼ばれる集団の一員。後年は陸栄廷らを相手に広西省の統治権を巡って激しく争った。旧名は亜栄。は冠南。祖籍は広東省恩平県
事跡
旧広西系での台頭

貧困の家庭に生まれ、匪賊として活動し、次第にその頭目として台頭した。1911年宣統3年)の辛亥革命後に、沈鴻英は革命派の招聘に応じて管帯となる。そして革命派の軍人劉震寰に属した。

1912年民国元年)、督帯に昇進した。1913年(民国2年)、二次革命(第二革命)が勃発すると、沈は革命派に与した上司の劉震寰を追放している。これにより、広西督軍陸栄廷から賞賛され、幇統に昇進した。さらに、陸栄廷に対する反乱軍を鎮圧したことで、統領に昇進している。

1916年(民国5年)3月、陸栄廷が護国戦争(第三革命)で反袁独立を宣言し、広東将軍(督軍)の竜済光を攻撃する。沈鴻英も陸に随従し、欽廉鎮守使に任命された。1917年(民国6年)12月、竜が再び広東に上陸してくると、陸栄廷が組織した討竜4個軍のうち、沈は第3軍総司令に任命され、竜を撃退した。

その後、沈は広東護国軍第3軍総司令兼瓊崖鎮守使に任命された。1919年(民国8年)冬には、北江に駐屯し、南韶鎮守使兼粤贛湘辺防督弁に任命された。
孫文の下での活動

1920年(民国9年)、孫文陳炯明が広東へ進攻してくると、陸栄廷・沈鴻英らは敗北し、広西に退却した。沈は広西辺防軍第3路軍総司令として、3個師を率いて賀県・平楽一帯に駐屯した。その後、陸は再び広東への進攻を企図したが、1921年(民国10年)6月、孫文の指示により陳炯明が広西へ逆進攻してくる(「援桂」)。

この時、劉震寰が陸栄廷側から離反する。形勢不利を悟った沈鴻英も、ついに陸に下野を迫る電報を打ち、陳炯明に寝返ろうと救桂軍総司令を自称した。ところが、陳はこれを信用せず、そのまま沈への攻撃を続ける。劣勢になった沈は趙恒タを頼って湖南省に逃げ込んだ。

その後、北京政府の呉佩孚から支援を受け、沈は北洋陸軍第17師師長に任命された。1922年(民国11年)7月、広西省の広東軍が広東へ戻ったところ、沈は呉の命令により広東を攻撃したが、これは失敗する。しかし、11月に沈は広西省に戻り、桂林柳州梧州一帯を占領して、広西省の有力軍人としての地位を取り戻した。

この年の6月には、陳炯明が孫文に対して攻撃をしかけ、両者は決裂していた。孫文は、桂軍の劉震寰・沈鴻英、滇軍楊希閔・范石生を味方に取り込み、沈は桂軍総司令に任命された。12月、この4軍人により組織された討賊軍が広州の陳に攻撃を開始する。1923年(民国12年)1月には、広州から陳を駆逐した。これにより、2月に孫は広州で大元帥府を再建した。
広西争奪戦

しかし、まもなく沈鴻英は呉佩孚と連絡を取るようになる。3月、北京政府から督理広東軍務善後事宜として任命された。4月には沈はこれを拝受し、広州の孫文を攻撃する。しかし、孫文・劉震寰・楊希閔の軍に反撃され、結局は広西へ敗走した。この後、広西省では、沈軍、陸栄廷軍、そして李宗仁新広西派(新桂系)軍との三つ巴の抗争が開始される。

沈鴻英は、3勢力中最強の陸栄廷に対抗するため、新広西派と事実上の連合を形成した。1924年(民国13年)4月、桂林に進軍してきた陸を沈は包囲・攻撃した。この間の6月に、新広西派は手薄となった南寧を攻略して、陸をさらに追い込んでいる。8月、陸が全州に撤退したため、沈は桂林を占領した。さらに9月、沈は全州を攻略して陸を広西から駆逐し、翌月の下野に追い込むことに成功した[1]

しかし、翌年に開始された新広西派との戦いでは、沈鴻英は次第に不利に追い込まれていく。ついに同年4月に桂林を失陥し、ほどなくして広西省から駆逐されてしまった。沈は香港へ身一つで逃れ、以後、軍政に復帰しようと目論むことは無かった。

1938年(民国27年)、香港で病没。享年68。
^ 黄秀頴「沈鴻英」『民国人物伝 第7巻』、254頁は、陸栄廷の下野を1924年(民国13年)9月23日、全州において、としている。しかし陸の下野時期についての有力説は、10月9日、湖南省永州において、である(莫済杰・陳福林主編 『新桂系史第1巻』、59-74頁;黄宗炎「陸栄廷」謝本書主編『西南十軍閥』、76頁)。これは、『申報』1924年10月23日記事、黄紹の回顧録『五十回憶』等の裏づけがある。

参考文献

黄秀頴「沈鴻英」
中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第7巻』中華書局、1993年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 7-101-01052-0。 

黄紹пw五十回憶』岳麓書社、1999年。ISBN 7-80520-968-5。 

黄宗炎「陸栄廷」謝本書主編『西南十軍閥』上海人民出版社、1993年。ISBN 7-208-01642-9。 

莫済杰・陳福林主編『新桂系史 第1巻』広西人民出版社、1991年。ISBN 7-219-01885-1。 

劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 

  中華民国北京政府

先代
陳炯明(粤軍総司令)広東督理
1923年3月 - 1924年5月
(1923年5月、逃亡)次代
林虎


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