沈める滝
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沈める瀧
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌連載
初出情報
初出『中央公論1955年1月号-4月号
刊本情報
出版元中央公論社
出版年月日1955年4月30日
装幀高久広
総ページ数321
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『沈める滝』(しずめるたき)は、三島由紀夫長編小説。原題は旧漢字の『沈める瀧』である。を信じないダム設計技師が建設調査の冬ごもりの間、或る不感症人妻と会わないことで人工恋愛合成しようとする物語。ダム建設を背景にした一組の男女の恋愛心理の変化を軸に、芸術と愛情の関連を描いた作品である[1]。人間を圧倒する超絶的な自然環境の中で推移する男の心理、やがてダムによって沈む小さなに象徴される女、人間主義的な同僚との絡み合いを通じ、冷徹な物質の世界と感情に包まれた人間の世界との対比や、社会的効用主義に先んずる技術者芸術家)の純粋情熱暗喩的に描かれ、自然と技術(芸術)との相互関係が考察されている[1][2][3]

1955年(昭和30年)、雑誌『中央公論』1月号から4月号に連載され、同年4月30日に中央公論社より単行本刊行された[4][5]。文庫版は1959年(昭和34年)8月25日新潮文庫より刊行された[5]
主題・文体

三島の『沈める滝』創作ノートの初期段階には、〈ダム(芸術象徴)が、何ものにも関係しないといふ確信。何の関係も考へず、たゞダムの完成のみに盲ら滅法に邁進〉と記され[1]、芸術と愛情(あるいは人間関係や生活)との関連を主題にしたものとなっている[2]

また、主人公(Hero)と対立する功利主義者でダムの効用のみ考える瀬山の人物設定の腹案について以下のように記されている[1]。心の底では上流社会に憧れてゐる。すべてを関係づける男。「関係と悪魔」だと、彼のことを主人公が戯れに呼ぶ。しかも主人公はこの男を好きだ。この男は、ダムの社会関係を力説し、ダムが資本家の不当利益のために利用され、労働者は搾取され、資本家は多くを外資に仰いでゐる売国的行為であり、ダム建設はアメリカの軍事目的なりといふ。
彼のヒューマニズム、それとダムとの矛盾。ヒューマニズムと、すべてを関係づける思想との関係?
しかしあるとき、思はざるダムの事故を救ふために身を挺し、死す。Heroの絶望
瀬山の策動―「関係」の人情論が女を殺す。 ? 三島由紀夫「創作ノート『沈める滝』」[1]

文体については、「スタンダール、プラス鴎外」の影響を取り入れたものだと三島は説明している[6]。また『沈める滝』には、〈かつての気質的な主人公と、反気質的な主人公との強引な結合〉があるとし、〈不透明な過渡期の作品〉だと位置づけて自作解説している[7]
作品背景・モデル

モデルのダムは奥只見ダム須田貝ダムで、三島は1954年(昭和29年)10月に現場取材旅行に行き、実際に越冬した電力会社社員から聞き取りをしている[8][9]。また、作中に登場する人妻の和服や振舞いの描写は、三島が執筆当時に交際していた赤坂料亭の娘・豊田貞子の着物を参考にしていたとみられている[3][10][11]。この女性は短篇『橋づくし』の主人公・満佐子のモデルにもなっている[12][13]

なお、『沈める滝』の取材過程で三島が耳にした実話(九頭竜川ダム汚職事件吹原産業事件に類する話)をもとに作品化した短編に『山の魂』がある[1][14]
あらすじ

土木技師の城所昇は祖父・九造が会長をしていた電力会社でダム設計をしている。昇の両親は早世し、祖父に育てられ、与えられた玩具は発電機の模型や石と鉄ばかりだった。昇は数学が得意だったが情操や感動に欠け、塗り絵は馬も兎もみな灰色に塗ってしまう子供だった。成長した昇はぼんやり立っているだけで女に感動を与える美男子となり、色事は数知れなかった。しかし昇は同じ女と再び床を共にすることはなく、特定の女を愛することはなかった。朝が来ると昇は、火のように熱い足の女たちの具体性から一刻も早く逃げ出したいと思うのだった。

ある晩夏の朝、昇は多摩川のほとりで和服の美しい女に会った。その女・菊池顕子は人妻だったが不感症であった。昇との一夜で顕子は演技もせずに石像のように横たわっていた。顕子は今まで何人かの男と寝たが、いつも結果は同じであった。数々の女との逸楽に倦き、誰も愛さなかった昇は、感動しない顕子に自分と似た親しみを感じた。昇は顕子に、「誰をも愛することのできない二人がこうして会ったのだから、嘘からまことを、虚妄から真実を作り出し、愛を合成することができるのではないか。と負を掛け合わせてを生む数式のように」と提案した。

今まで本社勤務で優遇されていた昇は、3年計画のダム建設現場への赴任を志願した。昇は顕子と会わずに手紙だけで人工恋愛を作り上げようと思っていた。10月下旬、新潟県K町(小出町)に降り立った昇を、一足先にK町の事務所 に赴任していた総務課の瀬山が出迎えた。瀬山は城所九造家の書生をしていた7歳上の男で昇の幼い頃の知り合いでもあった。昇は、奥野川ダムサイト現場の技師長に半年間の冬ごもりまでも申し出た。町への道路がまだ整備されていないため、初年の気象観測や積雪調査は健康な技師10名が山ごもりをしなければならなかった。

冬になる前、現場宿舎に顕子からの恋文が届いた。手紙は嘘をついてもよいというルールだったが、昇はあえてそれに素直でありのままの素朴な返事を書いた。技師たちと友だちとなり、都会にいた時の自分とは別人のような暮らしぶりや、川の上流で顕子に似た小を見つけたことを綴った。2度目に来た顕子の恋文に昇は少なからず感動した。越冬態勢になると直接手紙のやりとりはできないため、昇は嘘のつもりで最後の手紙に「愛している」と書いた。

宿舎の越冬準備が済み、最後に医薬品を届け終りK町へ帰ろうとした事務の瀬山は、ランドローヴァーのエンジンが故障する災難に見舞われ、技師たちと一緒に冬ごもりをするはめになった。最初はジタバタしていた瀬山もそのうち落着き、夜の宿舎で昇たちと「技術人間との問題」について議論を戦わすようになった。物事のすべてを人間との関係や人間の効用に結びつけたがる瀬山に対し昇は、技師者の情熱とはエベレスト征服の情熱と似たもので、技術は自然と人間との戦いであると共に対話でもあり、自然の未知の効用を掘り出すために、おのれの未知の人間的能力を自覚する一種の自己発見であるという考えだった。

顕子からの簡素な便りは定期的に無電交換手から伝えられ、ある日にはK町に来た顕子の声が無電で直に聴くことができた。昇は顕子に早く会いたいと思った。深い雪に閉ざされた長期環境で不安になる若者の中で昇だけが超然とし、彼は他の技師たちから何かと頼りにされる存在となった。年が明け、上流の方で壮絶な大雪崩があった。自然の轟音のお祭騒ぎの後、にそなえていた樹々の無慚な死の惨劇を昇は見た。

ある日、瀬山と炊事夫が口争いをしていた。2月になり食事が貧しくなり、味噌汁は日に日にただのお湯のようになってきた。


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