沈まぬ太陽
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太陽の沈まない国」とは異なります。

『沈まぬ太陽』(しずまぬたいよう)は、1995年から1999年に『週刊新潮』で連載された山崎豊子による3編に亘る長編小説

日本航空と、実在する同社社員で同社の労働組合役員である小倉寛太郎の史実に基づいて脚色、再構成されたフィクション社会派作品[注 1]。単行本・文庫本は700万部を売り上げており[1]2009年には映画化、2016年にはWOWOWにてテレビドラマ化された[2]
作品概要

日本のナショナル・フラッグ・キャリアである大手航空会社「国民航空」社員で同社の労働組合委員長を務めた恩地元と彼を取り巻く人々の描写を通して、人の生命にかかわる航空会社の社会倫理を表現した作品である。日本航空とその元社員である小倉寛太郎、単独機の事故として史上最悪の死者を出した日本航空123便墜落事故などがモデルとされている。実在の複数の人物が登場人物のモデルとなったとの推測があるが、山崎豊子は公式には認めていない。しかし、山崎豊子は多くの日本航空関係者にインタビューを実施している。

小説内に「多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築した」という注がある[1]

この作品の『週刊新潮』への連載・映画化に対して、日本航空経営陣が強い不快感を示し、雑誌連載中は日本航空機内での『週刊新潮』の扱いを取りやめていた[3]

本作は、以下の3編からなる。
アフリカ篇
作中の現在は1971年(昭和46年)11月13日午後(ケニア時間)より。国民航空ナイロビ営業所に勤務する恩地を中心に物語は進行する。国民航空の労働組合委員長として経営陣と対立した結果、カラチテヘラン、そしてナイロビの足掛け8年に亘る「現在の流刑」にも等しい左遷人事に耐える中で、母親と死別し、家族と別れることになった経緯と作中の現在に至るまでが、回想形式で描かれる。一方、大学の同輩であり組合の副委員長として恩地を蔭ながら支えてきた行天四郎は、堂本常務の言葉によって恩地と袂を別ち、出世街道を歩むこととなる。
御巣鷹山篇
作中の現在は1985年(昭和60年)8月12日18時24分頃(日本時間)より。10年の左遷に耐えて日本に帰国した恩地であったが、国民航空は追及の手を緩めず、恩地を更に10年の間、東京本社での閑職に追いやっていた。そんな中、御巣鷹山で「国航ジャンボ機墜落事故」が発生、救援隊・遺族係へ回された恩地を中心に物語は進行する。一部実在者を含む遺族の姿がオムニバス形式で随所に挿入されている[注 2]
会長室篇
作中の現在は1985年(昭和60年)12月より。御巣鷹山墜落事故から4か月後、利根川総理大臣は国民航空の再建を期し、関西の紡績会社の会長である国見正之を国民航空会長に据えた新体制をスタートさせた。遺族係として大阪に赴任していた恩地は東京に呼び戻され、国見が新設した「会長室」の部長に抜擢される。改革に奔走する国見と恩地、そして次期社長の座を狙う行天を中心として、国民航空の腐敗体質の温床となった存在と、その背後の黒幕が描かれる。
登場人物・企業

必ずしも全ての登場人物にモデルが存在するわけではなく、モデルとして複数の意見が存在するものもある[4]
団体
企業
国民航空(国航, NAL、こくみんこうくう、こっこう)
主要な舞台となる企業で、主人公を始め多くの登場人物が所属している。
日本航空がモデルとされている。
新日本空輸(新日空、しんにっぽんくうゆ、しんにっくう)
国航と同規模の航空会社であり、国内の主要航空路線ではライバル関係にある。全日本空輸がモデルとされている。
極東国内航空(きょくとうこくないこうくう)
新日空と同じく国航のライバル関係にある航空会社。当時の東亜国内航空(後の日本エアシステム)がモデルとされている。
日本産業銀行(にほんさんぎょうぎんこう)
金融債「ワリサン」を発行する外国為替銀行。当時の日本興業銀行(後のみずほ銀行)や東京銀行(後の東京三菱銀行三菱UFJ銀行)がモデルとされている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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