汽車道
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汽車道
Kishamichi Promenade
汽車道
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分類港湾緑地
所在地 日本横浜市中区新港二丁目、西区みなとみらい二丁目
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分10.6秒 東経139度38分5.7秒 / 北緯35.452944度 東経139.634917度 / 35.452944; 139.634917座標: 北緯35度27分10.6秒 東経139度38分5.7秒 / 北緯35.452944度 東経139.634917度 / 35.452944; 139.634917
面積9,129 m2
前身鉄道線路
開園1997年7月19日
運営者横浜市
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横浜博覧会開催時に走った列車(転用後の「三陸鉄道36-300形気動車」の項も参照)汽車道と港一号橋梁新港地区側より(右端に港三号橋梁)

汽車道(きしゃみち、英語: Kishamichi Promenade)は、神奈川県横浜市桜木町駅前と新港地区を結ぶ、鉄道廃線跡を利用して1997年に開通した遊歩道である。港湾環境整備施設(港湾緑地)として整備されている[1]

本項では、遊歩道としての汽車道だけでなく、その歴史や産業遺産としての価値についても触れる。
概要

2002年に設定された、桜木町駅から港の見える丘公園を経路とする散策コース「開港の道」の起点側に当たる[2][3]。また、一部はみなとみらい地区(17街区)の運河パークを通っている(詳細は後節)。「開港の道」も参照

汽車道はもともと「ウィンナープロムナード」と呼ばれていたが、1996年平成8年)に行われた名称公募により改称された。1911年明治44年)開通の旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨港線(通称「税関線」とも)の廃線跡を利用し、その一部にあたる約500mの区間をレールも残した上で緑地として整備したものである。

この臨港線は当初貨物輸送目的で作られたもので、新港埠頭の横浜港荷扱所(後に横浜港駅へ昇格)を経由して岸壁倉庫の前、さらに横浜税関構内の荷扱所まで結んでいた(詳細は「高島線」の項を参照)。一方、1920年大正9年)からはサンフランシスコ航路の出航日に限り、旅客列車(ボートトレイン)の運行が行われるようになった。戦後米軍により一時接収されたが、1952年昭和27年)に返還され、以降1961年(昭和35年)の氷川丸の最終航海時まで旅客運送が行われていた(詳細は「ボート・トレイン#横浜港駅」を参照)。

その後、貨物支線としては1986年(昭和61年)に廃止となった[注釈 1]が、1989年(平成元年)の横浜博覧会開催時にはこの路線を利用して会場ゲートがあった桜木町駅近辺(日本丸駅を設置)から山下公園の氷川丸付近(山下公園駅を設置)まで旅客列車(気動車)の運行[注釈 2]を行い、博覧会終了とともにこの区間も廃線となった後、1997年(平成9年)に汽車道として整備されるに至った。「山下臨港線プロムナード」および「横浜博覧会#交通・会場内の乗り物」も参照

汽車道は日本丸側と新港地区を2つの人工島ならびに3本の橋梁で結ぶ構造となっている[4]。また、開通当時に架設されたアメリカ製とイギリス製のトラス橋を改修・保存しており、新港地区からの列車が頻繁に行き来していた頃の、かつての面影を残している。
橋梁

汽車道上に架かる港一号橋梁?港三号橋梁の3橋梁は、横浜市認定歴史的建造物に認定されている[5]
港一号橋梁

1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作されたトラス橋で、1909年(明治42年)に鉄道院により架設された[6]。30フィートの鈑桁橋2連と100フィートのトラス橋からなる[7]。複線相当の幅がある。2012年(平成24年)10月24日から2013年(平成25年)3月15日まで補修工事を実施している。
概要[6]
構造概要:鋼トラス橋設計者:鉄道院製作者:アメリカン・ブリッジ
港二号橋梁

100フィートの複線トラス橋。港一号橋梁と同年に製作された[6]
概要[8]
構造:鋼トラス橋設計者:鉄道院製作者:アメリカン・ブリッジ
港三号橋梁

元は1906年(明治39年)に架設された北海道炭礦鉄道夕張線夕張川橋梁の100フィートトラス橋と1907年(明治40年)に架設された総武鉄道江戸川橋梁の2基の100フィートトラス橋であり、1928年(昭和3年)に横浜生糸検査所引込線の大岡橋梁として転用された[4][9]。現在は夕張川橋梁のトラスの一部が再移設され、プロムナードに沿って保存されている。一号・二号橋梁と異なりイギリス製であり、トラスの高さが低くなっている[4]
概要[9]
構造概要:鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)設計者:鉄道院製作者:川崎造船所兵庫分工場
ギャラリー

港一号橋梁(2009年3月2日)

港一号橋梁補修工事中
(2013年2月23日)

港二号橋梁(2011年11月29日)

港二号橋梁のプレート

港三号橋梁(2014年6月1日)

受賞歴など
土木学会デザイン賞2001汽車道をまたぐ「ナビオス横浜」、赤レンガ倉庫を遠望する

汽車道は土木学会による「土木学会デザイン賞2001」において最優秀賞を受賞した[10]。選考の講評にあたって、選考委員の大熊孝(新潟大学教授)[11]は、みなとみらい21の中心にあって観光資源を結ぶ歩行者空間を、歴史的資産の巧みな保全・活用と施設整備によって人々が楽しみながら回遊する空間となっていると捉え、特に汽車道をまたぐように建設されたホテル「ナビオス横浜」の開口部によって確保された汽車道から赤レンガ倉庫への見通し景観を、優れた動線設計として評価した[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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