「決定理論」とは異なります。
決定論(けっていろん、英: determinism、羅: determinare)とは、あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする哲学的な立場。
対立する世界観や仮説は「非決定論」と呼ばれる。 近代的な決定論は、宇宙に対する決定論と、人間に対する決定論に大別される[1]。 宇宙に対する決定論は、宇宙の全ての状態は、それ以前の状態から物理法則に従って必然的に変化し、決定されるという考えである。因果的決定論とも呼ばれる。 人間に対する決定論は、ある個人に制御できない要素によって、その人の思考や行動が決まるという考えである。因果的決定論を人間にそのまま適用すれば、人間も物理法則に従って動く物質にすぎず、人間の思考や行動も事前に決定されていたことになり、自由意志の存在は否定される。量子論を考慮しても、人間の思考や行動は物理法則によって「確率的に」決定されると修正されるだけで、自由意志が否定されることに変わりはない[注 1]。 また人間の決定論としてより具体的な決定メカニズムを指定したものに、遺伝決定論と環境決定論の分類がある。環境決定論の下位分類として(極端な)行動主義や文化決定論
概説
因果的決定論以外の決定論は、特定の要因の重要性を強調するために決定論と呼ばれており、因果的決定論のような厳密さはない。また理論の提唱者は決定論だとは言っておらず、批判者により決定論だとレッテルが貼られる場合もある[3]。
その他に、人間の思考や行動の源は脳であり、その大部分あるいは全ては自由意志とは関係のない脳内の信号伝達によって決定される、とする決定論がある。
決定論による自由意志の否定は、道徳的責任の有無にも波及する。ある人が犯罪などの道徳的に問題のある行為をしても、それをすることが事前に決定されていたり、自分に制御できない要因によって引き起こされたのなら、道徳的な責任を問うことができなくなる。 決定論は自由意志の否定につながり、歴史的に西洋哲学、キリスト教神学で大きな主題となってきた。決定論と自由意志をからめた議論は古代ギリシャ・ローマのストア派の哲学にすでにみられる。 決定論的な考えは、古代ギリシャのデモクリトスの原子論にみられる。ただ古代の原子論はすなわち決定論という訳ではなく、エピクロスは直進する原子が突然軌道をそらす「原子の逸れ」という非決定論的な考えを導入し、ここに自由意志の余地を確保しようとした[4]。古代ギリシャ・ローマにおいて決定論を積極的に展開したのがストア派である。ストア派は、宇宙が神および人間という理性的存在の手段として最適なものとして造られているという思想から、宇宙の出来事の連鎖はただ一通りの最適なあり方しかとれないと考えた。ストア派はそのような目的論的な秩序を摂理と呼んだ[5]。ストア派の考えの一部はキリスト教に受け継がれた。キリスト教神学では、神の全能性と人間の自由意志をどう調停するのかが問題となった。神の全能性を強調し、人間の自由意志を否定した思想にカルヴァンの予定説がある。 17世紀の科学革命により、すべての現象を物質的な相互作用により説明する機械論が勃興した。機械論は因果的決定論であるが、それを人間にまで適用すると人間の自由意志が否定されてしまうという難点があった。デカルトは人間の心には機械論の適用を避け、心身二元論を取った。スピノザは自由意志を否定して厳格な決定論を唱え、ライプニッツは予定調和説により決定論と自由意志を両立させようとした。 因果的決定論とは、いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果であり、この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに、未来は現在および過去に規定されて、一意的であるとする考え方。 古典力学は決定論的な理論であり、初期状態が決まれば、その後の物質の運動は物理法則に従って計算できる。
決定論の歴史
古代ギリシャ・ローマ
科学革命
因果的決定論
古典物理学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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