池谷 仙克(いけや のりよし、1940年[1]8月31日[2] - 2016年10月25日[3][1])は、日本映画の美術監督。日本映画・テレビ美術監督協会会員。株式会社コダイ代表。東京都[1]立川市出身[4][5]。武蔵野美術大学産業デザイン科芸能デザイン専攻卒業[2]。 御茶の水美術学院、桑沢デザイン研究所、武蔵野美術大学で学ぶ[6][1]。学生時代に助監督のアルバイトを務めたことで映像業界に興味を持ち、テレビドラマ『海の音
経歴
『怪奇大作戦』(1968年 - 1969年)に参加後、一旦円谷プロ作品から離れ、一連の円谷プロ作品に参加していた実相寺昭雄を中心にコダイグループ(現:株式会社コダイ)を結成[1]。実相寺昭雄の監督のATG作品を筆頭に一般映画の美術も手がけるようになる。以後、鈴木清順作品や寺山修司作品、相米慎二作品、篠田正浩作品など、数多くの著名な映画監督の作品の美術を担当。
『写楽』(1993年)、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(1998年)で日本アカデミー賞最優秀美術監督賞を受賞。
これらの映画の傍ら、円谷プロや宣弘社などのテレビの番組の美術、キャラクターデザインや、数多くのCM美術も担当。
また、オリジナルビデオ『実相寺昭雄の不思議館
』(1992年)では実相寺・大木淳吉と共同で企画に携わったほか、第2話「床屋」の本編演出も手掛けている。2016年10月25日、癌のために死去[3][8]。76歳没。
人物・エピソード
映像については実相寺昭雄が師匠であったが、美術における師匠はいないとしている[4]。助手を務めた成田亨からは、美術としてのプライドや人生観は受け継いだが、技術的なことについては話をしていないと述べている[4]。
1971年に『帰ってきたウルトラマン』で美術として立ち上げに参加するが、映画などで多忙になり1クールで降板した[7]。その後、旧知の特技監督である大木淳が本編を初担当した第32話で大木からの依頼により怪獣キングマイマイのデザインを手掛けた[7]。元々池谷は怪獣映画をやりたいと思ったことはなく、本格的な映画の制作があればそちらへ行こうという気持ちがずっとあったという[7]。また『帰ってきた』という原点回帰についてもマイナスなイメージを抱いていたと述べている[7]。後年のインタビューでこのころを振り返り、不真面目にやったつもりはないが、映画に意識が行っていたと反省の弁を述べている[7]。
『帰ってきたウルトラマン』の後に参加した『シルバー仮面』についても実相寺昭雄がやっていなければ参加しなかった旨を語っている[7]。
体操の経験があったことから、『シルバー仮面』の撮影時にテストでシルバー仮面のスーツアクターを務めたところ、着地に失敗して骨折し、その後は松葉杖で現場に通っていた[9][10]。
参加作品
映画