池袋モンパルナス
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池袋モンパルナス(いけぶくろモンパルナス)とは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃(1920年代から1940年代[1])にかけて、池袋周辺(東京都豊島区西池袋椎名町千早町長崎南長崎要町[要出典])に存在したアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)と、そこを拠点とした芸術家によって作られた文化圏の呼称[1]。この地域に暮らした画家音楽家詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語った文化全体もさす[2]
概要池袋の立教通り商店街(1931年)

アトリエ村文化が栄えた場所が池袋を中心とした繁華街であった。岡本一平が「新宿オンパレード」(1933年8月30日)の中で、1929年から1932年にかけての欧州滞在の経験に基づき、「銀座をモンマルトルとすれば、新宿はモンパルナス」と述べ、小熊秀雄が『サンデー毎日』1938年7月31日にエッセイ「池袋モンパルナス」を書いている[1][3]。しかし池袋モンパルナスの名は一般化されず、1925年にはパリのモンパルナス地区で、のちの独立美術協会となる1930年協会のメンバーによって、その会名に「モンパルナス会」などが候補としてあがったが、結局翌年「1930年協会」として発足する[3]

1940年頃にこの活動は頂点に達するが[要出典]、戦況の悪化により多くの芸術家が戦争召集される、もしくは疎開したうえ、1945年4月13日の空襲で打撃を受け終息していく[要出典]。戦後は、戦争で家を失った人々が入居もするが、残存した芸術家に新たな芸術家も加わり前衛美術運動の拠点ともなる[要出典]。安部公房勅使河原宏瀬木慎一などが出入りした[要出典]。

また太平洋戦争で、1944年の空襲により甚大な被害を受けた沖縄で、学者出身の軍人ジェームス・T・ワトキンスやウィラード・A・ハンナ少佐らが、沖縄の伝統文化を守るという指針を作り、山本恵一や大城皓也がかかわり新しく建設されたアトリエ村、ニシムイ美術村は池袋モンパルナスに影響されたとされる[4]

近年、豊島区立熊谷守一美術館やアトリエ村資料室などができ、新たな芸術観光スポットとして「池袋モンパルナス」という言葉も一般に使われるようになってきている[要出典]。

劇団銅鑼が1997年に舞台化[5][6]し、1999年再演し、池袋演劇祭大賞受賞[7]。この公演をきっかけに“池袋モンパルナスの会”が結成され、現在に至っている。

2016年3月、劇団銅鑼が『池袋モンパルナス』を新演出で再演[8]
池袋モンパルナスにかかわった主な芸術家body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

小熊秀雄

熊谷守一

靉光

寺田政明

長谷川利行

麻生三郎

松本竣介

長沢節

浜田知明

古沢岩美

北川民次

福沢一郎

名井万亀

丸木位里

丸木俊

田中佐一郎

若松光一郎

林武

鶴田吾郎

高山良策

鳥居敏文

山下菊二

桂川寛

春日部たすく


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