池畑慎之介☆
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「ピーター」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ピーター (曖昧さ回避)」をご覧ください。

いけはた しんのすけ
池畑 慎之介
本名同じ
別名義ピーター(歌手・タレントとしての名義)、池畑 慎之介
生年月日 (1952-08-08) 1952年8月8日(69歳)
出生地 日本大阪府大阪市中央区宗右衛門町
身長166cm
血液型A型
職業歌手俳優タレント
活動期間1969年 - 2018年、2020年 -
配偶者なし
著名な家族石川豊子(姉)
事務所生島企画室
主な作品

 受賞
第11回日本レコード大賞最優秀新人賞

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池畑 慎之介(いけはた しんのすけ、1952年8月8日 - )は、日本歌手俳優タレント。2019年までは芸名として「ピーター」を用いていた。

本名同じ。血液型はA型。生島企画室所属。

デビュー以降一貫して「ピーター」を名乗ってきたが、1985年ごろから、レビューショーやバラエティー番組の時は「ピーター」、役者の時は男役女役にかかわらず「池畑慎之介」と、二つの名前を使い分けるようになった。愛称は「ピー」。
来歴、人物
デビューまで

慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝の長男として大阪府大阪市中央区宗右衛門町で生まれた。兄弟は姉一人(エピソードで後述)。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚、好きな方を選べと言われ、父は舞の稽古で鬼のように怖かったので母・池畑清子と暮らすことを選択、小学校2年の時に祖父・祖母のいる鹿児島県鹿児島市に移り、少年時代を過ごした。母は天文館で「淀川」という料亭を経営していた。慎之介が父方の橋本姓ではなく母方の池畑姓を名乗るのはこれ以降である。

鹿児島市では清水小学校から進学校の名門、ラ・サール中学校に入学。母を喜ばせるために必死で勉強したという。しかし寮生活の息苦しさに耐えられずに鹿児島市立城西中学校へ編入、中学3年の秋に家出、大阪を経由して東京へ向かう。

新宿へ行くつもりが原宿へたどり着き、表参道のクラブで募集していたゴーゴーボーイに応募、年齢をごまかして働き始めたが、来客(若柳流関係者)に問われて父が吉村流の家元であることを言ってしまったために在京の吉村流の関係者に発見され、たまたま歌舞伎座に出演していた父に知らされ、慎之介が夜中目覚めたら枕元で父は泣いていた。すぐに実家に連れ戻され、この事件を機に両親は復縁している。

堺市立浜寺中学校を卒業後、大阪市内の私立高校である桃山学院高等学校に入学。しかし高校1年の時に再び家出して上京。この時働いていた六本木のゴーゴークラブで、男の子か女の子か分からない美少年ということから「ピーター・パン」と呼ばれていた。これが芸名「ピーター」の由来である[1]

グループ・サウンズオックスのボーカル赤松愛に似ていると言われて、「六本木の赤松愛」と言われた[2]
デビュー以降

六本木のクラブで知り合った作家水上勉のパーティーに呼ばれ、ATG映画『薔薇の葬列』にかかわっていた舞台美術家の朝倉摂に「主役の美少年にぴったり」とスカウトされた。1969年、俳優・ピーターが誕生、同年10月には歌手デビューも果たし、当時のキャッチフレーズは「アポロが月から連れてきた少年」と称された。さらに、自身デビュー曲の『夜と朝のあいだに』では、同年大晦日放映のTBSテレビ第11回日本レコード大賞』で最優秀新人賞を受賞し、特に女性からの広い支持を受けて一躍アイドルスターとなった。

仁科亜季子は幼なじみであり初恋の人で、独身を貫いてきた理由は仁科が芸能界にデビューしたため(芸能界に入って素人でなくなったため)。また、父の愛に飢えており、自らの子供にそういう思いをさせたくなかったのも独身を貫いてきた理由としている。

その後、数々映画に出演する一方で歌手としての活動も続けていったが、1985年黒澤明監督の『』で重要な狂言師役に抜擢された頃から役者としての層に厚みが増すようになり、これが今日の「二人の」池畑につながっている。

池畑本人も才能ある舞踊家で、長らく「吉村雄秀(ゆうひで)」の名取でもあり、吉村流の例会にもきちんと出ていた。父・雄輝は晩年「慎之介をどうかよろしく」と家元継承を匂わせる発言もしていたが、1998年に死去すると池畑は自ら「雄秀」を返上して吉村流とは決別し、家元は実力のある内弟子が継ぐ、という流派の伝統を守らせた。本人は一から舞踊の勉強をやり直すことを決意したという。

なお父の死を機に、母と再び熱海で同居を始めるも、母は2002年に死去[3]

2006年からテレビに頻繁に出演するようになり、過去を知らない若者の間にも知名度が浸透した。特に愛のエプロンでは、男性対決だけではなく女装しても活躍し優勝するほど料理の腕を振るった。最近では料理番組にも多数出演するようにもなる。またシャル・ウィ・ダンス??オールスター社交ダンス選手権で女装して優勝する程、ダンスの修得は早かった。CMやバラエティにも出演し、年齢と性別を超越した活動を行っている。

2008年7月1日付で大手芸能事務所、オスカープロモーションに所属することになり、同年、7月25日から始まった同じ事務所の菊川怜主演のテレビ朝日連続ドラマ「打撃天使ルリ」に7年振りにドラマに出演した。しかし個人事務所のマネージャーが覚醒剤取締法違反で逮捕された事を受け(後、不起訴となる)、「オスカーに迷惑をかけた。他の人のイメージまで悪くなる」と自ら責任を取ってマネジメント契約を09年9月5日付で解除(5年契約の2年目)[4]した。

東北地方太平洋沖地震をきっかけに、「物を持つことの虚無感というか罪悪感」を感じて断捨離を始めた[5]

2012年8月以降、芸能プロダクション・A-team所属タレントとなっている。

2013年3月、役者名を「池畑慎之介?」に改名。なお、タレント・シンガーとしての芸名は「ピーター」のままである。「☆」印の正式な表記は一筆書きの五芒星である[6]

2002年から2015年5月まで、高輪に所有する家で高輪会というパーティーを行なっており、毎回大勢の芸能人が参加していた[7]。そのために芸能界デビューから多数の芸能人と親交があり幅広い人脈を持っている。

2018年5月、同年いっぱいで「ピーター」の名前を卒業し、本名の「池畑慎之介」で統一することを発表[8]。2019年からは1?2年の休養を取り、充電期間とする意向を示した[8]

2020年4月からは生島企画室へ所属が決まり、1年3か月振りに芸能界へ復帰することになった。

2022年3月10日にゴルフ中に転倒し、左足首を骨折する[9]
エピソード

実姉は
鹿児島テレビ放送のアナウンサー1期生で、大阪芸術大学放送学部放送学科教授・学科長の石川豊子。

池畑慎之介名義は本来「乱」からにするつもりだったのが、黒澤監督から「ピーターで有名なんだから、それでいいじゃない。」と言われ、監督にそれ以上詳しい理由を説明する事もできなかったために、逆に「乱」はピーターの名前での最後の俳優活動となった。

TBSの関口宏の東京フレンドパークII、2001年5月7日放送で柳葉敏郎と来園。ウォールクラッシュ、ンゴボコ、フラッシュザウルス、クイズ!ボディ&ブレインでクリアしたが、最後のアトラクションでハイパーホッケーでクリアならず。惜しくも金貨4枚に終わった。

ドイツの雑誌『クヴィック(英語版、ドイツ語版)』1970年1月21日号の表紙を飾った[10]

バラエティー番組などに出演するときは女装、またはそれに近い衣装を着ていることがほとんどである。父・雄輝の吉村流はそもそもが女舞の流派で、3歳からおしろいを塗って舞の舞台に立っていた池畑は、役者として女役を演じることには初めからなんの抵抗もなかったという。しかしながら、常時女装の美輪明宏性転換をしたカルーセル麻紀らとの違いを自覚し、ひとくくりにカテゴライズされることには抵抗を感じている旨の発言をしている[11]。俳優としては女性役、女装男性役、女性的な面を持つ男性役が多いが、凛々しい男性役も演じることもでき、大河ドラマ『北条時宗』が代表例である。

小学校時代に一度坊主刈りにしたことがあるが、その時についたあだ名は「尼さん[12]」だったという。

親思いで、この熱海の別荘にも特に両親のために日当たりのよい和室を作っている。

プロ野球読売ジャイアンツ阿部慎之助捕手の「慎之助」は、彼の母親がピーターの大ファンだったことからつけられた名前である。なおピーター本人は阪神タイガースファンで、特に真弓明信の大ファンだった。

ブライスのコレクターとしても有名で、一時期は自宅に80体以上のブライスドールが飾られていたが、自宅の売却などを機にコレクションを手放し、現在は自身を模したカスタムブライス1体のみを所有している[13]

2007年には念願だったハイジュエリーをプロデュース・セレクトしたブランド「P's collection」を立ち上げる。また、2009年からはテレビショッピング専門チャンネルQVCにおいて、カジュアルな服や靴、アクセサリーを扱う「SHINNOSUKE designed by PETER」を展開している ⇒[1]。特に新作が紹介される放送日には自ら出演し、モデルを買ってでることもある。

主な出演作
舞台

越路吹雪物語 -
越路吹雪

夏の夜の夢

おもろい幽霊 - 桜

もとの黙阿弥 浅草七軒町界隈 - 賀津子

女中たち

和宮様御留 - 観行院和宮の母)

ジンジャーブレッド・レディ - エヴィー

阿国 - 猪熊少将

京都 都大路謎の花くらべ

罠 - フローランス

頭痛肩こり樋口一葉 - 花蛍

山村美紗サスペンス 「京都 花灯路 恋の耀き」 - キャサリン

映画

薔薇の葬列(1969年 ATG) - エディ

華やかな女豹(1969年 日活) - 歌手

三匹の牝蜂(1970年 東映京都) - 歌手

こちら55号応答せよ! 危機百発(1970年、松竹) - 本人

座頭市 あばれ火祭り(1970年 勝プロ/大映) - 梅次

東京⇔パリ 青春の条件(1970年 松竹) - 本人

花札賭博 猪の鹿三番勝負(1970年 東映) - 本人

不良番長 手八丁口八丁(1971年 東映) - 本人



女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年 東映京都) - 池畑慎一

初笑いびっくり武士道(1972年 松竹) - 加納平兵衛

獄門島(1977年 東宝) - 鵜飼章三

火の鳥(1978年 東宝) - 女官ヌサ

限りなく透明に近いブルー(1979年 東宝) - 黒人兵C

病院坂の首縊りの家(1979年 東宝) - 吉沢平次

上海異人娼館 チャイナ・ドール(1980年 アルゴスフィルム) - 女主人黒トカゲ

(1985年 東宝/ヘラルドエース) - 狂阿弥

十手舞(1986年 松竹) - 千太郎

…これから物語 ?少年たちのブルース?(1988年 フジテレビジョン) - 今泉

晴れたらポップなボクの生活(2006年 『晴れたらポップなボクの生活』製作委員会) - ユウさん

デスノート the Last name(2006年 ワーナー・ブラザース映画) - レム(声)

雷桜(2010年10月22日、東宝)- 田所文之進

サンブンノイチ(2014年4月1日、KADOKAWA 吉本興業) - 渋柿多見子


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