将棋棋士の「池田修一」とは別人です。
シンガーソングライターの「池森秀一」とは別人です。
いけだ しゅういち
池田 秀一
2015年、第28回東京国際映画祭にて
プロフィール
本名池田 秀一[1][2][3]
性別男性
出身地 日本・東京都中野区野方[4][5]
生年月日 (1949-12-02) 1949年12月2日(74歳)
血液型O型[6]
職業声優、俳優、ナレーター[7]
事務所東京俳優生活協同組合[8]
配偶者戸田恵子[3][9](離婚)
玉川砂記子
公式サイト池田 秀一 - 俳協
池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12月2日[9][11][12][13] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[7]。東京都中野区野方出身[4][5]。東京俳優生活協同組合所属[8]。
元妻は女優の戸田恵子[3][9]。現在の妻は声優の玉川砂記子。 中野区立第十一中学校
来歴
以前はエヌ・エー・シー、加藤企画に所属していた[8]。 2男1女の次男として生まれる[5]。 小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす[2][9][11]。 芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に[11]児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという[10]。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという[10][16]。劇団こまどりに入団し[8]、1958年(昭和33年)から子役として活動。小学3年生の時にガヤで初めてテレビに出演[10]、中学2年生の時にNHKのテレビドラマ『次郎物語』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す[16]。鈴置洋孝は『機動戦士ガンダム』で初共演する際、『次郎物語』の池田、『巨人の星』の古谷徹との共演に感激したという。子役時代のあだ名は「秀坊」。中学生時代には、一千万人の劇場「小さき闘い」(フジテレビ)で石原裕次郎との初共演も果たしている。前述のとおり小学校の頃から芸能活動をしていたことから学生時代のクラブは所属していなかった[2]。その後も『銭形平次』、『遠山の金さん捕物帳』、『大江戸捜査網』、『太陽にほえろ!』、『Gメン'75』、大河ドラマ 『花神』、『大岡越前』、『西遊記』など多くのテレビドラマに出演を重ねた[16][注 1]。 NHKラジオの学校放送の仕事をしていたが[12]、俳優として伸び悩んでいた時期もあった[10]。
生い立ち
キャリア
子役・俳優として
声優として
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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