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凡例池田 清直
時代江戸時代後期
生誕文化9年8月15日(1812年9月20日)
死没安政5年8月6日(1858年9月12日)
改名摂之助(幼名)、定性(初名)→清直
別名仲道(別名)
戒名円徳院仁山道義
墓所鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所
官位従五位下、淡路守
幕府江戸幕府
藩因幡国若桜藩主
氏族池田氏
父母父:池田仲雅、母:市野氏
養父:池田定保
兄弟豊子、英子(高木正明室)、文之助、品子(松平定寧室)、仲律、鉄之丞、泰次郎、寿子(秋元昭朝室)、仲ィ、清直、鋼子(竹中熊三室)、正子(伊東祐鷹室)
子養子:清緝
養女:静子(定保娘、池田清緝正室)
養女:寛子(定保娘、池田慶徳正室)
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池田 清直(いけだ きよなお)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第8代藩主。 文化9年(1812年)8月15日、因幡鹿奴藩の第7代藩主・池田仲雅の八男として江戸で生まれる。弘化4年(1847年)に若桜藩の第7代藩主・定保が死去したため、その養子として家督を継ぎ、12月15日に従五位下・淡路守に叙位・任官する。 幕命で江戸城御門番を歴任した。安政5年(1858年)8月6日、江戸で死去した。享年47。跡を甥で養子の清緝が継いだ。
略伝
表
話
編
歴
池田氏若桜藩8代藩主 (1847年 - 1858年)
山崎家
山崎家盛1601-1614
山崎家治1614-1617
備中成羽藩に転封
一旦、鳥取藩に併合されたのち、1700年に同藩の支藩として立藩。
池田家
池田清定1700-1718
池田定賢1718-1736
池田定就1736-1768
池田定得1768-1773
池田定常1773-1802
池田定興1802-1807
池田定保1808-1847
池田清直1847-1858
池田清緝1858-1862
池田徳定1862-1870
鳥取藩に併合