この項目では、声優について記述しています。女優の同名の人物については「池田昌子 (女優)」をご覧ください。
「池田晶子」とは別人です。
いけだ まさこ
池田 昌子
プロフィール
本名浜田 昌子(はまだ まさこ)[1][2]
愛称マコちゃん[3]
性別女性
出身地 日本・東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)
生年月日 (1939-01-01) 1939年1月1日(85歳)
血液型A型[4][5][6]
職業声優、女優、ナレーター
事務所東京俳優生活協同組合[7]
配偶者浜田紀政
公式サイト池田昌子|東京俳優生活協同組合
池田 昌子(いけだ まさこ、1939年1月1日[4][10] - )は、日本の声優、女優、ナレーターである。東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)出身。東京俳優生活協同組合所属[7]。
オードリー・ヘプバーンの吹き替えや、アニメ『銀河鉄道999』のメーテル役などで知られる[5][11]。 幼少期は引っ込み思案で人見知りな性格であり、それを心配した母や偶々小学5年生くらいの時に、児童合唱団のオーディションがあり、その時のわりとそういうことの好きだったような小学校の担任による「団体の中で過ごすようになれば多少は改善されるかもしれない」という配慮から児童合唱団に入る[6][12][13]。当初は童話などを歌っていた[13]。その児童合唱団がミュージカルなどを始め児童劇団に変わったことから児童劇の世界へ[12]。気が付いたところ歌も演技も好きになり、止められなったという感じだった[6][12]。芝居の方が好きであり、元々性に合っていたんだと語る[6][13]。「ほかの仕事につきたい」という思いは、なく、気が付いた時には「女優になりたい、うまい役者になりたい」とそれだけだった[13]。2011年時点でも素になってしまうと、人前で話ししたりするのは苦手だったりするが、演じるということが余計面白かったんだという[12][13]。1949年、綴り方集を映画化した『風の子』(山本嘉次郎監督)で子役としてデビューする[注釈 1][9][14]。 児童劇で演じる面白さを知ったことで演劇の世界に入り、ラジオドラマなどで声優業を始める[12]。声優デビュー作は、小学5年生の時に出演した学校放送[17]。その後、声だけで役を演じる面白さから声優業が増えたという[12]。生でアテレコを始めた時は緊張の連続で神経がズタズタになり、家に帰ったら寝るだけだったという[15]。 一方で舞台活動のほか、1953年にNHKで放送した『牛若丸と辯慶』の牛若丸役[18]以後はテレビドラマなどで女優としても活動[19]。1969年以降はフジテレビ系『ライオン奥様劇場』のNMCプロ製作の昼メロに主要な役で立て続けに出演し、そこで知り合った助監督の浜田紀政と結婚。子供が生まれ、子供のために活動休止していたが、仕事は続けていきたかったため、声の仕事に復帰したという[20]。 声優活動を気に入り女優活動も減っていた頃、あるドラマのプロデューサーから「アテレコなんてしょせんは裏街道だ。女優たるもの、表街道を歩かなくてはだめだ」と言われたことで「裏街道で結構じゃない!」「だったら、裏街道なんて言われないように頑張ろう」と反発。そこから顔出しの出演を一切辞め、声優専業の意志を固めたという[11][12]。 所属は、劇団ちどり、劇団現代劇場、フールプールプロ[21]、グループだいこん[22]、セブンセンター[23]、スカイプロ[24]、同人舎プロダクション[25]を経て、1981年より東京俳優生活協同組合所属[7]。 2020年、東京アニメアワードフェスティバルでは「アニメ功労部門」で顕彰された[27]。
経歴
キャリア
現在まで
人物
Size:158 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef