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凡例池田利政
時代安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕文禄3年(1594年)
死没寛永16年8月11日(1639年9月8日)
別名左近、摂津守(通称)
戒名法清院殿月桂浄秋大居士
墓所岡山県備前市にある和意谷池田家墓所
主君池田利隆、光政
藩播磨姫路藩、因幡鳥取藩、備前岡山藩
氏族池田氏
父母父:池田輝政、母:安藤氏
嫡母:督姫
兄弟利隆、政虎、輝高、利政、茶々姫、忠継、忠雄、輝澄、政綱、孝勝院、輝興ら11男3女
妻佐久間勝之娘雪窓院
子政信、知利、森昌院、心珠院ら
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和意谷池田家墓所七のお山の利政の墓
池田 利政(いけだ としまさ)は、安土桃山時代末期に生まれた江戸時代前期の武士。通称は初め左近、後に摂津守と改める。 文禄3年(1594年)、三河国吉田にて池田輝政の九男(実は四男)として誕生した。嫡母は父の継室・督姫(徳川家康の娘)、生母は側室の安藤氏。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、父・輝政が播磨国姫路藩に移封されると、利政は船上城の城代となり、4170石(後に加増され5000石)を知行した。また、長兄の利隆に従い大坂の陣に参戦した。元和3年(1617年)、甥の光政の因幡国鳥取藩への移封に伴い、汗入郡逢坂に移住した。さらに、寛永9年(1632年)の光政の備前国岡山藩への移封で岡山に移った。 寛永16年(1639年)8月11日、京都で死去した。46歳。法号は法清院殿月桂浄秋大居士。墓所は岡山県備前市にある和意谷池田家墓所。
略歴
系譜
父:池田輝政(1565年 - 1613年)
母:督姫(1565年 - 1615年) - 徳川家康次女
生母:安藤氏
室:雪窓院 - 佐久間勝之の娘
男子:池田政信(1630年? - 1649年)
男子:池田知利(1630年 - 1679年)
生母不明の子女
女子:森昌院(? - 1707年) - 池田長泰正室
女子:心珠院 - 池田光政養女、日置忠治室
参考文献
村川浩平「池田輝政の男子について」『日本歴史』535号、1992年