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出典検索?: "池田光穂"
いけだ みつほ
池田 光穂
生誕1956年
大阪府大阪市
国籍 日本
民族日本人
活動期間1983年 -
肩書き大阪大学名誉教授[1]
公式サイトhttps://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/ikeda-j.htm
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池田 光穂(いけだ みつほ、1956年6月16日[2] - )は、日本の文化人類学者。大阪府出身。専門領域は、中央アメリカの民族誌学と医療人類学[3]。
略歴
1956年6月16日 - 大阪市北区の大阪北逓信病院(現在廃院)で生まれる[4]。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1969年3月 - 吹田市立第二小学校を卒業[要出典]。
1970年3月?9月 - 大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(大阪万博, EXPO70)に地元民の中学生に夥しい回数をもって訪問し、往時の「科学技術信仰」に心酔する[要出典]。
1972年3月 - 吹田市立第六中学校を卒業[要出典]。
1972年4月 - 大阪府立春日丘高等学校普通科に入学、1975年3月同校を卒業[要出典]。
1980年3月 - 鹿児島大学理学部生物学科卒業。
1982年 - 大阪大学大学院医学研究科修士課程(医科学)修了。
1983年-1987年 - 国際協力事業団(現国際協力機構)(JICA)青年海外協力隊(JOCV)隊員として中央アメリカのホンジュラス共和国保健省に派遣される。
1989年 - 大阪大学大学院医学研究科博士課程社会医学専攻を単位取得済退学。大阪大学大学院では「病者のための人権宣言」で有名な中川米造[5]教授が指導教官であった。
1987年?2006年 - ホンジュラスから帰国(1987年)後は大学院を単位取得済退学し、1989-1991年日本学術振興会特別研究員(国立民族学博物館外来研究員??指導教官は吉田集而教授)を歴任する。1992-1994年東日本学園大学=現北海道医療大学教養部助教授、1994-2000年熊本大学文学部助教授(文化人類学→文化表象学教室)、2002-2006年熊本大学大学院社会文化科学研究科教授・併任(文化政策論専攻)2000-2006年同教授[2005年度は兼任で本務は大阪大学へ](2004-2005年同学部地域科学科長・併任)、を歴任する。
2005年?2016年6月末 - 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)・臨床部門・教授。
2015年8月末?2016年6月末 - 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)・センター長。
2016年7月?現在 - 大阪大学COデザインセンター・社会イノベーション部門教授。