池玲子
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いけ れいこ
池 玲子
本名池田玲子
生年月日 (1953-05-25)
1953年5月25日(70歳)
出生地東京都
職業女優
活動期間1971年 - 1980年代

 受賞
ゴールデン・アロー賞グラフ賞
日本映画テレビ製作者協会新人賞

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池 玲子(いけ れいこ、1953年5月25日 - )は、日本女優グラビアモデル歌手東京都出身。本名:池田 玲子。東映ポルノ映画の主演女優の一人である。活動期間は1971年から1982年ごろまで。
来歴

1971年温泉みみず芸者』で映画主演デビュー。きっかけは、東映天尾完次鈴木則文が週刊誌のグラビアで池を見つけたことからである[1]。当時の池は16歳だったので、天尾と鈴木は池に「(本当の年齢がバレないよう)干支を聞かれたときは間違えないこと」と念押しをしてデビューさせた[2]バスト90cmのグラマラスな肢体で[2]、『女番長』シリーズなどに主演し、1971年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞。天尾は池を売り出すのに「ポルノ」という言葉を使ったらどうかと鈴木に提案し、デビュー作のポスターにはこの言葉が使われている[3]。池玲子は、杉本美樹芹明香、潤ますみらとともに、荒木一郎の現代企画という芸能事務所に所属していた[4]

1972年以降は女優と並行して歌手活動をしながら、『恐怖女子高校』シリーズ、『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』に主演。『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』(1973年、東映)[5]にも出演した。この作品は、映画評論家・樋口尚文からも評価された[6]香港ゴールデン・ハーベストホラー映画『悪魔の生首(心魔)』にも主演。この作品は同社のレイモンド・チョウが「カンフー映画の次にヒットするのはポルノ映画だ」と考え[7][8]、池を指名したものだった。東映はカンフー映画『ドラゴンへの道』の日本興行権を得ようとし、チョウの条件を受け入れる[9]。東映初の国際女優と騒がれ、撮影を終え帰国した池は「香港ではスターは脱がないの。ヌード専門の代役がいて裸は要求されなかった。これからは演技力で勝負したい[7]」と話している。菅原文太との交友も、よく知られていた。

テレビドラマでは時代劇やアクションドラマで悪女役や、『悪党狩り』では主人公に尽くす後家に扮し、レギュラー出演した。1982年ごろまで女優として活躍した。
フィルモグラフィ
映画(主演)

温泉みみず芸者(1971年、東映

女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年、東映)

現代ポルノ伝 先天性淫婦(1971年、東映)

女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972年、東映)

エロ将軍と二十一人の愛妾(1972年、東映)

不良姐御伝 猪の鹿お蝶(1973年、東映)

やさぐれ姐御伝 総括リンチ(1973年、東映)

恐怖女子高校 不良悶絶グループ(1973年、東映)

前科おんな 殺し節(1973年、東映)

恐怖女子高校 アニマル同級生(1973年、東映)

女番長 タイマン勝負(1974年、東映)

黒い牝豹M(1974年、日活

悪魔の生首(1974年、ゴールデン・ハーベスト

映画(助演)

不良番長 のら犬機動隊
(1972年、東映

女番長ゲリラ(1972年、東映)

恐怖女子高校 女暴力教室(1972年、東映)

緋ぢりめん博徒(1972年、東映)

女番長(1973年、東映)

恐怖女子高校 暴行リンチ教室(1973年、東映)

仁義なき戦い 代理戦争(1973年、東映)

忘八武士道 さ無頼(1974年、東映)


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