池添謙一
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池添謙一
2013年有馬記念(騎乗馬:オルフェーヴル
基本情報
国籍 日本
出身地滋賀県[1]
生年月日 (1979-07-23) 1979年7月23日(44歳)
身長162cm[1]
体重50.0kg [1]
血液型O型[1]
騎手情報
所属団体JRA[1]
所属厩舎栗東・鶴留明雄 [2]
⇒栗東・フリー[3]
初免許年1998年[3]
免許区分平地[3]
重賞勝利103勝(中央97勝、地方6勝)
G1級勝利28勝(中央27勝、地方1勝)
通算勝利14641戦1363勝(中央)
223戦21勝(地方)
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池添 謙一 (いけぞえ けんいち、1979年7月23日 - [1]) は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の騎手。父は元騎手・元調教師の池添兼雄、弟は調教師の池添学。マネジメントは、山崎隆士(株式会社ザッキーファーム)。
来歴

武豊に憧れて競馬学校騎手課程に入学[4]。初騎乗は1998年3月1日阪神競馬第2競走のナチュラルカラーで、12頭立ての6着だった[3]。同年1998年3月14日中京競馬第1競走でタヤスソシアルに騎乗し、初勝利を挙げた[5]。また、小倉競馬場の改修工事により阪神競馬場で開催された北九州記念[6]をトウショウオリオンで制し、デビュー1年目での重賞初勝利となった[4][7]。同年は38勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞した[8]

2001年7月13日ドーヴィル競馬場第4レースのHATHAARIで海外初騎乗を果たした。このレースは武豊が騎乗予定であったが、前のレースで落馬負傷したため、観戦に来ていた池添に急遽騎乗依頼があったもので、騎乗準備をしていなかった池添は、武やオリビエ・ペリエから馬具を借りてレースに臨んだ[9]。翌日からは調教や厩舎作業を行った[10]

2002年4月7日桜花賞アローキャリーに騎乗、初のGI勝利を挙げた[11]。また、ミルコ・デムーロに誘われ、イタリア1000ギニーに参戦。デムーロは複数のお手馬を抱えており、池添はそのうちの一頭に騎乗。20頭立ての18番人気ながら、勝利したデムーロの2着に入った[12][13]

2003年デュランダルスプリンターズステークス[14]マイルチャンピオンシップ[15]で勝利し、2004年は同馬でマイルチャンピオンシップの連覇を達成[16]。同年には、スイープトウショウ秋華賞[17]も勝利した。スイープトウショウに手こずったというエピソードが数多くあり、2005年の天皇賞(秋)では本馬場入場時に同馬が全く動こうとせず、返し馬を中止して係員がスタート地点まで引っ張っていき、池添がこれを追いかけていくという珍事もあった[18]。同馬では2005年の宝塚記念[19]エリザベス女王杯[20]も制している。

2007年9月9日に史上73人目となるJRA通算500勝を達成した[21]。また、同年12月2日阪神ジュベナイルフィリーズトールポピーで制した[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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