いけうち じゅんこ
池内 淳子
『サンケイグラフ』1954年10月24日号表紙
本名中澤 純子(なかざわ すみこ)
生年月日 (1933-11-04) 1933年11月4日
没年月日 (2010-09-26) 2010年9月26日(76歳没)
出生地 日本・東京府東京市本所区東両国(現:東京都墨田区)[1]
死没地 日本・東京都
血液型O型
職業女優
ジャンル舞台
テレビドラマ
映画
活動期間1955年 - 1957年
1958年 - 2010年
配偶者柳澤愼一(1957年 - 1958年)
主な作品
テレビドラマ
『日日の背信』[1]
『女と味噌汁』シリーズ
『釜めし夫婦』
『甘柿しぶ柿つるし柿』
『国盗り物語』
『夏の影』
『幸福のとき』
『一人来い二人来いみんな来い』
『出逢い』
『出逢い・めぐり逢い』
『はまなすの花が咲いたら』
『天うらら』
『薔薇のない花屋』
『温泉へGo!』
『Wの悲劇』映画
『新妻鏡』[1]
『花嫁吸血魔』
『けものみち』[1]
『男はつらいよ 寅次郎恋歌』
舞台
『三婆』
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池内 淳子[1](いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)は、日本の女優[1]。
来歴1954年
東京市本所区東両国(現:東京都墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。幼稚園はトモエ学園に通う。
1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業後、日本橋三越への入社試験に受かるも親の反対に遭う。しかし祖父の許しを得て無事に入社[1][2]、配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もおり、そこで2人の美貌が評判となる。1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通った。
1954年(昭和29年)、週刊芸能誌『サンケイグラフ』の第2回「カバーガール」に応募。同年9月10日に新東宝本社で開かれた選考委員会で1位に輝く。『サンケイグラフ』は新東宝撮影所へ池内を推薦[3]。関係者の目にも留まり、同社へ入社した。偶然にも前田と再会した。
映画界へ池内淳子(1961年)
1955年(昭和30年)、『皇太子の花嫁
』で映画デビュー。続く清水宏監督の『次郎物語』で姉役を演じ注目される。以来池部良、宇津井健の相手役として多くの作品に出演する。1956年(昭和31年)、『新妻鏡』で初主演。久保菜穂子、三ツ矢歌子と共に「新東宝現代劇の女優三羽烏」として脚光を浴びる。その間、俳優の柳沢真一と結婚[1]。
1960年(昭和35年)、『花嫁吸血魔』(並木鏡太郎監督)で映画界復帰[1]。
映画出演と平行してTVドラマ『今日を生きる』、『日日の背信』(丹羽文雄原作、共演:原保美)などに主演(後者は昼ドラマにもかかわらず驚異的な高視聴率を記録、人気女優として名を轟かす)。
1961年(昭和36年)8月末日、新東宝は負債総額7億8千万円(当時)を抱えて倒産。東京映画へ移籍。『社長シリーズ』、『駅前』シリーズ、『花影』、『けものみち』などに出演。 1962年(昭和37年)、「よろめきドラマ」(現在の不倫ドラマ)には欠かせない存在として人気を集め、「日本放送作家協会女性演技者賞」を受賞。お嫁さんにしたい女優でも上位にランクインし、人気・演技力ともテレビ女優ナンバー1の地位を確立した。中でも『女と味噌汁』シリーズは毎回高視聴率を誇り、代表作となった[1]。 1966年(昭和41年)3月、「第8回マルデルプラタ映画祭」出席のため、南米アルゼンチンを訪問。 1974年(昭和49年)、日本テレビとテレビドラマ出演のための専属契約を結ぶ(特例条件としてTBS『東芝日曜劇場』と映画の出演は可)。この契約は1980年(昭和55年)まで続いた。 2007年(平成19年)4月、舞台『三婆(さんばば)』の地方公演中に胸の違和感を訴えて検査入院した処、間質性肺炎、胸水貯留、肺腫瘍の診断が下され、約3か月の安静加療が必要となった。そのため、同年5月25日から予定されていた『怪談牡丹燈籠』の全国公演の降板を発表(代役は水谷八重子)。同年6月に一旦退院、8月中旬からは民放の単発ドラマで仕事復帰していた[4]。 2008年(平成20年)4月、春の叙勲での旭日小綬章授与が日本政府より伝達された[5]。2009年11月、天皇陛下御在位二十年記念式典に出席した。同式典において、明仁天皇(当時)と美智子皇后(当時)が関心を持つ分野の代表者の一人として、池内が紹介された[6]。 2010年(平成22年)5月16日まで、名古屋の中日劇場で舞台『三婆』に出演していた[5]が、その後再入院。約4ヶ月後の同年9月26日午後4時21分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。76歳没。テレビドラマの遺作は、同年1月11日にTBSテレビで放送された『Wの悲劇』。 和服の似合う上品な美貌の持ち主として、1960年代から1980年代まで「テレビドラマの女王」として君臨[1]。
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人物・エピソード