池乃めだか
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今宮戎神社宝恵駕行列途次、なんばグランド花月前にて
(2016年1月9日)
本名中井 昭彦(なかい あきひこ)
ニックネーム池やん、めーちゃん、ちっさいおっさん、ショートマン
生年月日 (1943-07-03) 1943年7月3日(80歳)
出身地大阪府守口市
血液型B型
身長149 cm
言語日本語
方言大阪弁
相方海原かける
事務所松竹芸能ケーエープロダクション吉本興業大阪本社
活動時期1966年 -
配偶者既婚
親族妻・二女
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池乃 めだか(いけの めだか、1943年昭和18年〉7月3日 - )は、日本お笑いタレント喜劇俳優吉本新喜劇の座員。

本名は中井 昭彦(なかい あきひこ)。大阪府守口市出身。吉本興業所属。身長149 cm、血液型B型。既婚。愛称は池やん、めぐ坊、めーちゃん、ちっさいおっさんなど。
略歴

大阪府守口市出身。守口市立第一中学校卒業後、三洋電機に約6年半勤務した(19歳の時には長らく結核で入院していた)後、1966年昭和41年)に23歳で芸能界入り。当初は松竹芸能からデビューした。

1968年(昭和43年)に正司玲児らと「中井次郎」の名で音楽ショウ「ピスボーイ」にドラマーとして参加、10日もたたないうちに熊本市民ホールで初舞台。まもなくして、以前から知遇を得ていた海原小浜門下に入り「海原めぐる」(二代目、初代は漫談のミヤ雀仙)と芸名を変え、三洋電機時代に知己を得ていた海原かける(海原小浜の息子で、海原やすよ・ともこの父)と漫才コンビ「海原かける・めぐる」を結成。この頃ケーエープロダクションに移籍し、同事務所の本拠地であった寄席劇場・梅田トップホットシアターを中心に活躍していたが、1976年(昭和51年)海原かける廃業にともない同年吉本興業へ移籍し吉本新喜劇に入団「池乃めだか」に改名した(「池乃」の名付け親は六代桂文枝,「めだか」は本人)。

新喜劇入団後、長い間セリフのほとんどない子役ばかりを演じていて、新喜劇に対する意欲を失いつつあった。そこへ、いま寛大(当時、はな寛太とのコンビを解消していた)から「漫才コンビを組まないか」と誘いかけられ、約1年悩んだ末に新喜劇を辞めてコンビを組むことを決意し、劇場支配人にそのことを伝える。しかし、その場で支配人がめだかを副座長として間寛平とともに出演させようとしていたことを知った。寛大とのコンビを組むのを撤回(寛大には土下座して謝り了承された[1])、以後寛平との掛け合いで人気に火がつき、その名が知れ渡るようになった。1980年代後半、吉本本社による「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で看板役者が次々と降ろされていく中、桑原和男中山美保らと共に残留、その後若手育成の為座長に就任した。1995年内場勝則辻本茂雄石田靖の3名がニューリーダー(1999年から吉田ヒロも加えて「座長」と呼び方を変更)に就任したのを受け、座長を卒業したものの、その存在感や人気は現在でも現座長たちに決して引けを取らない必要不可欠な存在の重鎮である。借金過多で吉本新喜劇を一時的に追放された帯谷孝史とともに、すでに1999年には新喜劇の行く末を案じていた(40周年記念本『ゲラゲラ・ハッピィ』での発言による)。

その後も重鎮として活動し続け、2006年に新喜劇の新座長に就任した小籔千豊のメインイベント「コヤブ新喜劇」のフリートークコーナーでは、「もう新喜劇も引退かなと思ってたところに小籔みたいなのが出てきたから、あと2、3年頑張ってみようと思う」という発言をしている。

2011年末に健康診断を受けた際に、頭部に未破裂性脳動脈瘤が発見されたため[2]、2012年4月6日に大阪市内の病院で開頭手術を受けた[3]。その後1か月半ほどの自宅療養を経て同年5月29日に京都府のよしもと祇園花月での吉本新喜劇公演で舞台に復帰した[4]

2023年2月、脳梗塞を発症し、2週間入院[5]

同年9月19日から1週間、なんばグランド花月にて史上最年長座長公演「吉本新喜劇/池乃めだか傘寿記念公演」を行う[5]
エピソード

宮川大助メッセンジャー黒田田村裕麒麟)らと並んで、吉本でも指折りの極貧経験を持つ。幼少期に父が病死し、母は病気がちだった。兄は一度蒸発しており、帰ってきてめだかに「目の黒いうちはもう出て行かへん」と約束したものの、ほどなくして「目が白ぅなった」と言い、めだかが小学6年生の頃に再び蒸発。そのため中学時代から一人暮らしを始めた。朝刊の配達で生計を立てていたが、配達用の自転車が大人用のものしかなく、「三角乗り」(荷物用自転車のフレームの間に片足を突っ込んでペダルをこぐ乗り方)で自転車を操っていた。一時は「民生委員の世話になってはどうか?」という周囲の勧めもあった。金で態度が一変する定食屋の主人を見て「大人は汚い」と思ったこともある。一方でこの頃の経験を元に、金を渡されて「ワシらカネで転ぶと思ってるんか」と相手にくって掛かって、そのまま転んでしまうといった、今のギャグにつながっている部分もある。

中学時代の成績は非常に優秀であったが、経済的な事情で高校進学を身内から反対されていた。高校進学を勧めるため、当時の担任教師が身内を説得しに訪ねたという。結局、定時制高校に入学するものの、やはり経済的事情のため中退している。

サラリーマン時代に上司から宗教勧誘を受け、それを断ったことで気まずくなり脱サラした。

吉本新喜劇の舞台では、身長が150cm未満である事を持ちネタにしている。公称身長は149cmだが、実際は145cmしかない。また、大阪道頓堀くいだおれ人形(くいだおれ太郎)よりも低く、自分の娘が小学生の時に身長を追い抜いてしまったという。

子煩悩だが、過去に「パンチDEデート」のドッキリ企画に出演した際、めだかが居ない場面で娘に無茶苦茶に言われ、「どうしようか、もう。あの時は(番組の)舞台に出て行くの止めようかと思った」と述懐している。

自宅で猫を飼っている。

人柄の良さや温厚な性格から多くの後輩に厚い信頼を寄せられており、今田耕司は「年の離れた親友」とめだかのことを慕っている。また、自身の経営する居酒屋に、新喜劇の若手の山本奈臣実を雇っていることからも面倒見の良さが垣間見える。ただし、新喜劇に対しては一家言があり、前述の今田耕司ら「ヤメよっかなキャンペーン」で共演し卒業したタレントについては、「最後まで交われることはなかった」と述懐している。

特技はドラムスで、芸能生活30周年記念公演などで腕前を披露している。

大阪タイガース時代からの阪神タイガースファン。

事務所の後輩で同じく背の低いナインティナイン岡村隆史と、誕生日・血液型が同じである。

芸名=役名が基本の吉本新喜劇において、池乃は特例的に「中井一郎」もしくは「池乃一郎」という役名で出演している。

今いくよ・くるよと同部屋になって寝た時、いくよに執拗かつ性的に絡んでいったことがある。絡んでいった理由は桂きん枝によると「怖い夢を見たから」。

なんばグランド花月の出番が1週間続いた際に自家用車で通勤していたが、その際に「無人の自動車が走っている」と通報を受けた警察署員に取り囲まれたことがある(2010年10月30日放送分・毎日放送よしもと新喜劇」より)。
居酒屋「いけのめだか」

プロゴルファー横峯さくらの父横峯良郎は、めだかの熱狂的なファンであることで知られている。自身の経営する居酒屋の店名に「いけのめだか」、ジュニアゴルファー育成練習場にも「めだかクラブ」と名付けているほどで、『めちゃ2イケてるッ!』でめだかと共演した時にはその喜びを露にしていた。また、めだか自身も横峯さくらの応援に駆けつけるなど親交は深い。

過去に眼などを数度プチ整形しており、レギュラー出演していた『ナンバ壱番館』にはサングラス姿で出演したこともある。

2002年安部公房作・鴻上尚史演出の舞台『幽霊はここにいる』の主役に抜擢された。2005年からは、陣内智則と共に『歌笑HOTヒット10』(日本テレビ)にレギュラー出演、全国区に進出している。


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