池上遼一
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いけがみ りょういち池上 遼一
生誕 (1944-05-29)
1944年5月29日(79歳)
日本福井県越前市
(旧:福井県武生市
職業漫画家大学教授
活動期間1961年 -
ジャンル劇画
代表作『男組[1]
クライング フリーマン[1]
サンクチュアリ[1]
HEAT -灼熱-[1]
受賞第47回小学館漫画賞
2001年、『HEAT-灼熱-』)[1]
インクポット賞
第69回小学館漫画賞
(2024年、『トリリオンゲーム』)[2]
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池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本漫画家大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介される事もある。
来歴

福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生のころから貸本漫画に慣れ親しむ。中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげる青林堂長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。二年半ほど水木のアシスタントとして働いた後メジャーデビュー[3][4]

代表作に『男組[1]、『クライング フリーマン[1]、『サンクチュアリ[1]、『HEAT -灼熱-[1]など。月刊漫画『ガロ』では特集も組まれていた[5]

HEAT -灼熱-』で2001年度、第47回小学館漫画賞受賞[1]2023年、第50回アングレーム国際漫画祭で、特別栄誉賞を受賞[6]。2024年、『トリリオンゲーム』で第69回小学館漫画賞を受賞[2]
人物

水木しげるのアシスタントになるまで水木の漫画を読んだことはなかった。劇画風な絵を描く
さいとう・たかを佐藤まさあきのアシスタントになりたかったが人手は足りているとのことで断られた。

つげ義春の熱烈なファンで、水木のアシスタントに入った時、その場につげもいて驚愕したという[7]。また、水木も「私よりつげさんの方を「先生」と仰いで尊敬していた」と述べ、若いアシスタントがつげを揶揄するような発言をした際には「おどりゃ、つげ先生に何をぬかすかあ」と食ってかかったりしていたという[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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