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出典検索?: "江陵市"
江原特別自治道 江陵市高城山から望む正東津海岸と正東津川橋りょうを渡る海列車
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:江陵市
日本語読み仮名:こうりょうし
片仮名転写:カンヌン=シ
ローマ字転写 (RR):Gangneung-si
統計(2023年)
面積:1,040 km2
総人口:209,439[1] 人
男子人口:103,759 人
女子人口:105,680 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:江原特別自治道
下位行政区画:1邑7面13洞
行政区域分類コード:32030
江陵市の木:マツ
江陵市の花:サルスベリ
江陵市の鳥:ハクチョウ
自治体公式サイト:江陵市
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江陵市庁
江陵市(カンヌンし)は、大韓民国江原特別自治道東部の市。 江原特別自治道の太白山脈東側の嶺東地区中部に位置する港町。東側は日本海、西側は江原特別自治道平昌郡と旌善郡、南側は東海市、北側は襄陽郡に隣接する。 鏡浦台を始め海水浴の適地が多く、夏には海水浴客で溢れる観光都市でもある。2018年開催の平昌冬季オリンピック・パラリンピックでは、各種屋内競技の会場となった。2024年江原道ユースオリンピックの開催地の一つともなっている。
地理
歴史鏡浦湖に面して建つ鏡浦台
前108年 東?県が置かれ、臨屯郡に属する。
313年 - 高句麗に占領され、何瑟羅(河西良・河西とも)となる。
397年 - 新羅領となる。
512年 - 何瑟羅軍主異斯夫、于山国(鬱陵島)征伐。
757年 - 河西州を溟州とし、9郡25県を置く。
1263年 - 江陵道に改称。
1395年 - 江原道になる。
朝鮮中期江陵大都護府。連谷県、羽渓県の2県を属させた
1895年 - 江陵府になる。
1896年 - 江原道に戻す。江陵郡発足。
江陵市
1955年9月1日 - 江陵郡江陵邑・城徳面・鏡浦面が合併して江陵市が発足。[2]
1995年1月1日 - 江陵市・溟州郡が合併し、改めて江陵市が発足。[3](1邑7面)
1996年 - 江陵浸透事件。
2014年1月1日 - 旺山面が王山面に改称。(1邑7面)
2018年2月 - 平昌オリンピックにて、当市がアイスホッケー・フィギュアスケート・カーリングなど室内競技の会場となった。
溟州郡(江陵郡)
1906年 - 臨渓面・道岩面が旌善郡に移管。珍富面・蓬坪面・大和面が平昌郡に移管。内面が麟蹄郡に移管。
1914年4月1日 - 郡面併合により、江陵郡に以下の面が成立。北1里面・北2里面・南1里面が合併して郡内面になり、南2里面を城南面に改編。[4](13面)
郡内面・徳方面・城南面・資可谷面・丁洞面・沙川面・上邱井面・下邱井面・城山面・連谷面・新里面・玉渓面・望祥面
1916年10月1日(13面)
郡内面が江陵面に改称。
資可谷面が江東面に改称。
1917年11月1日(13面)
上邱井面が旺山面に改称。
下邱井面が邱井面に改称。
1920年11月1日(12面)
徳方面および城南面の大部分をもって城徳面を設置。
城南面の一部が丁洞面に編入。
1931年4月1日 - 江陵面が江陵邑に昇格。(1邑11面)
1937年4月1日 - 新里面が注文津面に改称。(1邑11面)
1938年9月1日 - 丁洞面が鏡浦面に改称。(1邑11面)
1940年11月1日 - 注文津面が注文津邑に昇格。[5](2邑10面)
1942年10月1日 - 望祥面が墨湖邑に昇格。[6](3邑9面)
1945年9月16日 - 襄陽郡の38度線以南の区域(県南面・県北面および西面の一部)を編入。(3邑12面)
西面を新西面に改称。
1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、県北面・新西面を襄陽郡に返還。(3邑10面)
1955年9月1日(2邑8面)[2]
江陵邑・城徳面・鏡浦面をもって江陵市に昇格。
江陵郡の残り地域は溟州郡に改称。
1963年1月1日 - 県南面が襄陽郡に編入。(2邑7面)
1973年7月1日 - 旺山面南谷里・九切里が旌善郡北面に編入。[7](2邑7面)
1980年4月1日 - 墨湖邑が三陟郡北坪邑と合併して東海市に昇格・分離。(1邑7面)
1983年2月15日 - 邱井面のうち彦別里が江東面に、山北里が城山面にそれぞれ編入。[8](1邑7面)
1995年1月1日 - 溟州郡が江陵市と合併し、改めて江陵市が発足。溟州郡消滅。[9]