江戸砂子
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『江戸砂子』(えどすなご)は江戸時代中期に著された江戸地誌。著者は俳人菊岡沾涼。後に著者自身により『続江戸砂子』が出て、後世には増補版『再校江戸砂子』が刊行された。
概要

江戸地誌の前作である貞享4年(1687年)の『江戸鹿子』出版から年月が経過し、比定地の不明となった地名が出現するなど、実用に堪えない点が多く出てきたため、菊岡沾涼と有力版元万屋清兵衛が時代の要請に応えるかたちで出版された[1]。編集には8年が費やされた[2]

江戸地誌としては最も流布したものとなり[3]、後世まで出版が継続された。

題簽に「新撰江戸砂子」、巻頭題に「江戸砂子温故名跡誌」、凡例題に「新編江戸砂子温故誌」、柱題に「江府名跡志」とあり、一般的には「江戸砂子」または「江戸砂子温故名跡誌」として知られる。題名にある「砂子」とは金銀粉を細かく吹きつける技法であり、『江戸鹿子』の由来となった鹿の子絞りの斑模様に対して、より精密に著した作品であるという沾涼の自負が現れている[1]。また、「温故」については、先に祖父菊岡如幻による伊賀国地誌『伊水温故』と通じるものがあり[1]、影響を受けたとも考えられる。
構成

巻之一に江戸城外濠内を扱い、巻之二以降はその外側の地域について北東部、北部、西部、南部、東部と方角毎に反時計回りに整然と配置される。また、各項目の冒頭には地図が付される。
巻之一

御曲輪之内 大概

御外曲輪 河北

同 河南

同 御城西

巻之ニ

豊島郡峡田領浅草 花川戸 山之宿 新寺町

今戸 橋場 山谷 新吉原

下谷 池之端 坂本 金杉

巻之三

豊島郡峡田領湯島 本江 上野境内

谷中 根津 三崎 日暮里 三河島

駒込 染井 岩渕領西ヶ原 同平塚 同王子

小石川 白山 大塚 巣鴨 板橋

巻之四

豊島郡峡田領牛込 小日向 関口 雑司谷 高田 市谷 大久保

四谷 内藤宿 大木戸 多磨郡中野 同郡高井土 鮫ヶ橋 栴檀谷

同郡麻布領赤坂 青山 渋谷 荏原郡世田ヶ谷 長者ヶ丸 鶴ヶ谷

巻之五

豊島郡麻布領 西窪 愛宕下

同郡麻布 平尾

荏原郡品川領三田 二本堰B高輪

同郡品川 鈴森 大井 馬込領池上

同品川領白金 馬込領目黒 世田ヶ谷領碑文谷 矢口

巻之六

葛飾郡西葛西領深川 洲崎 六間堀 海ノ上名所

本所 牛島 猿江 大島

同中ノ郷 亀戸 隅田川 木下川

追加下総国 葛飾郡真間 国府台 袖ノ浦 中山

『続江戸砂子』

外題、見返し題は「拾遺続江戸砂子」、内題は「続江戸砂子温故名跡志」。好評を受けて、著者菊岡沾凉自身により著されたもので、享保20年(1735年)沾涼作『新板江戸分間絵図』と共に出版された。前書序文で既に『町鑑』『武鑑』『江戸鹿子』にあるため省くとした「諸大名籏本御屋敷」「町小路の名目」「工商の部」「茶器の名物もろ/\の器財」その他の内容を扱った。

構成は『江戸鹿子』の影響を深く受けたものである[4]
江府年中行事 江府名産并近在近国

御役屋敷并御高札場場所 江府町名目 河北より本所 草創古来名主類聚

神社拾遺并類聚 御外曲輪の中 日本橋より深川

浄土宗一八檀林并諸宗役寺 寺院拾遺 霊仏類聚

名木類聚 薬品衆方 四時遊観附樓船類聚

『再校江戸砂子』

内題は「再校江戸砂子温故名跡誌」。宝暦年間丹治恒足軒庶智が校正し、明和年間俳人牧冬映が誤字を訂正したもの。明和9年(1772年)刊。


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