江戸川漁業被害(えどがわぎょぎょうひがい)とは、1958年に東京都江戸川区にある製紙工場の黒い排水が江戸川に放流されたことによる公害のこと。本州製紙事件、黒い水事件とも呼ばれる。
工場からの黒い排水を止めるために、1958年5月24日・6月10日に下流の漁民らが工場に乱入し、6月10日には機動隊と乱闘になって、漁民側に重傷者35名、軽傷者108名、検束者8名。警察側も1名入院した。
この事件は、旧水質二法(公共用水域の水質の保全に関する法律、工場排水等の規制に関する法律)の制定や、被害を受けた江戸川下流域の再生事業(葛西沖、浦安沖など)のきっかけとなった。 公害の汚染源は本州製紙江戸川工場(東京都江戸川区東篠崎町)[1]。同工場は1922年11月に操業を開始し、当時は約680名の従業員で、専売公社の用紙、教科書用紙、出版・印刷用紙を4台の装置で年間約4万5千トン生産していた[2]。 本州製紙江戸川工場では1958年3月下旬に、日産70トンのケミカルパルプの製造装置を導入した。原材料として、これまで使用していた松に代えて原木資源として有望な広葉樹を使用する設備で、亜硫酸アンモニウムで広葉樹木材中のリグニンを抜くため、黒褐色の排水が発生した[2]。工場長は、この排水はほぼ中性であり、茶褐色をしているが多量の川の水で薄められるため、有害とは思っていなかった[2]。 会社の技術担当役員は、5月17日に採取した黒い排水の原液の分析結果を と報告し、会社としては害はないと結論した[2]。 本州製紙社長(木下又三郎)は、「工場の排水は無害だという報告を受けており今の設備でいいと考えているが、今回の問題で、排水を沈殿池に導いて万全を期すことにしている。黒い排水の漁業被害については、漁場の状況を詳しく知らないので詳しい調査をしていないが、以前に愛知県で同様の問題があったときの調査では、全部が当社の排水が原因であったかどうか疑問をもっている」と陳述した。 千葉県水産商工部水産課長は、国会質疑までに判明している点として、5月19日に工場の排水口の近くで採集した工場排水の動物実験結果を、 と報告し、水質分析の結果として、 と報告し、このまま放置すると魚介類の被害は今後増大すると考えていると陳述した[2]。 東京都経済局長は、5月13日から14日に実施した水質試験と生物試験を報告した。 水質分析では、 であった[2]。 国会の参考人質問で工場長は、これまで約36年間操業しているが、排水が問題になったことはないと陳述している[2]。 しかし、漁業協同組合長は、従来の装置から「白い水」を放流していることについても、これまでは黙認してきたが、「これからの会社側との交渉につきましては、白い水を流すことも黒い水を流すことも、絶対無害ということが実証されない以上は、私たちは認めることができない。」と陳述している[2]。 江戸川の下流域の漁業被害が発生した。
汚染源
黒い排水
水素イオン濃度(pH)が、6.8
全固形分が、148.6 g/l
灰分が、2.4 g/l
全亜硫酸が、7.6 g/l
揮発性酸が、18.8 g/l
全糖が、9.2 g/l
リグニンが、34.9 g/l
廃液量は、毎秒0.003トンであり、大きな排水路で280倍程度に希釈されて放流される。
工場排水の原液にフナを入れたところ、直ちに全部死んでしまった。
工場排水を二分の一に薄めたところ、十五分後に全部死滅した。
十分の一に薄めた場合に、五日後に全部死んだ。
淡水での飼育では、全然異常がなかった。
水素イオン濃度(pH)が、3.4という非常に強い酸性であった。
生物化学的酸素要求量(BOD)が、289ppmであった。
化学的酸素要求量(過マンガン酸カリ消費量)が、普通の水では2 - 30程度のところ、289ppmであった。
精査中であるが、非常に多量の繊維が含まれている。
排水口の下流50mでは、約100%のアユの斃死率。
500mでは、32%の斃死率。
京成電鉄の下流では、4%の斃死率
水素イオン濃度(pH)が、4.2以下。
溶存酸素(DO)が1.39。
白い排水
被害
八ケ浦漁業協同組合
浦安町漁業協同組合 約1050名
浦安第一漁業協同組合 約390名
南行徳漁業協同組合 約250名
行徳町漁業協同組合 約300名
江戸川町漁業協同組合
葛西町漁業協同組合
城東漁業協同組合
荒川漁業協同組合
深川漁業協同組合
千葉県浦安町
人口:16470名
生業:漁師が75%、その他半漁半農、商工業者が25%。
漁獲高
浦安町漁業協同組合:アサリ=3873万1000円、ハマグリ=3257万1000円、ノリ=2億2964万円
浦安第一漁業協同組合:アサリ=296万8300円、ハマグリ=3561万9600円、ノリ=5178万9000円
南行徳漁業協同組合:アサリ=26万円、ハマグリ=7万円
行徳漁業協同組合:アサリ=74万円
事件の経過
1922年11月 - 本州製紙江戸川工場の操業開始。
1957年6月 - 建築基準法の確認申請と東京都公害防止条例による許可申請。
1958年3月下旬 - ケミカルパルプの製造装置の新規設置。
4月1日 - 工場から江戸川に黒い排水が流れ始める。
江戸川下流の八ケ浦漁業協同組合の代表が7、8回も工場に出向き、汚水の被害を訴え対応を求めた。これに対し、工場は一課長のみしか応接せず、黒い排水の放流を続けた。
5月7日 - 東京都に陳情。
5月13日 - 東京都の水質試験及び生物試験。
5月19日 - 千葉県の現地調査(1回目)。工場排水の採水調査。
5月22日 - 工場長の人事異動。
5月24日
午前9時半頃 - 第1回交渉。八ケ浦漁業協同組合の役員約1000名が漁船及び自動車で工場へ参集して、東門から工場に乗り込んだ。汚水の出るマンホールに瓦や石等を投げ込んで水の流れを止めた。その際、工場の労働組合事務所にも入り、戸や障子が壊れた。小松川署長以下約50名が到着して警備にあたった。
午前10時40分 - 工場内会議室で、工場長他7名と浦安町長、助役、漁協組合長8名が5項目を話し合う。
現在運転中の新規装置から排出される黒い排水を直ちに止める。
操業中の古い装置から排出される白い排水は、一刻も早く無害化する設備をする。
被害補償は、会社重役とよく相談して解決を図る。
次の会議日は、5月27日午後3時。
会議場所は、同じ工場の会議室。
午後1時50分 - 会議終了後、会議室を取り囲んでいた約400名が退場した。最後の約30名が退場したのは午後2時10分ごろ。
午後3時 - 旧設備の再稼動。
後日 - 工場長の人事異動
5月27日
午後3時40分 - 第2回交渉。浦安町長が会議進行役となる。
新工場長のあいさつ
新規装置を再稼動したいとする工場側と、無害化施設を完備しなければ了解できない漁協側。
白い排水については、ろ過設備の設置期限を設けること。
今までの被害について、いつごろどのように補償するのか誠意をもって返事すること。
次回会議は、5月29日午前10時。
5月28日 - 工場の役員が千葉県水産課に出頭。
5月29日
午前11時 - 第3回交渉。物別れに。
新工場長から、排水路から沈殿槽へ切り替え工事をするには8月中までかかるが、その前に新規装置を明日からでも再稼動させてほしい。
第三者の調査結果により、何らかの方法で納得する話で円満に解決したい。
午後 - 都内5漁業協同組合の組合長らが東京都庁に新規装置の操業停止の陳情。
5月30日 - 東京都水産課長の調停で、東京都側の各漁協長が運転再開を受諾。同日、本州製紙専務らが千葉県庁を訪れ、東京都側の被害者と解決したので、千葉県側も同じように調停することを依頼したが、浦安漁協は出頭要請を拒否、浦安町長も調停について態度を保留。一時間後 千葉県内3漁業協同組合の代表が、千葉県庁で副知事と水産課に陳情。
6月2日 - 午後2時ごろ、工場は一方的に黒い排水を流す。
6月3日 - 葛西漁協と浦安町漁協の代表が工場長と交渉したが、「私たちは許可を取ってやっていることで、これは会社の命令なので、工場長としては方法がない」という答えであった。
6月4日 - 都庁の指導部と水産課、県庁の水産課に、海の現状を見てほしいと陳情。
6月5日 - 千葉県の現地調査(2回目)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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