江戸城跡のヒカリゴケ生育地
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江戸城跡のヒカリゴケ生育地付近の石垣。2022年6月13日撮影。

江戸城跡のヒカリゴケ生育地(えどじょうあとのヒカリゴケせいいくち)は、東京都千代田区北の丸公園にある、国の天然記念物に指定されたヒカリゴケ(光蘚)の自生地である[1]

ヒカリゴケ(光蘚 学名:Schistostega pennata (Hedw.) F.Weber et D.Mohr[2])は、ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属の原始的なコケ植物で、直射日光の乏しい洞窟石垣の隙間などに生育して黄緑色に光るコケである。日本国内における生育は1910年明治43年)に長野県岩村田町(現、佐久市)で確認されたのが最初で、この場所は岩村田ヒカリゴケ産地として1921年大正10年)に国の天然記念物に指定され、その後、国の史跡として知られる吉見百穴(現、埼玉県比企郡吉見町)の横穴の一部でも発見され、吉見百穴ヒカリゴケ発生地として1928年昭和3年)に国の天然記念物に指定され、長期間にわたりこの2件がヒカリゴケの国指定天然記念物であった[3]

1969年(昭和44年)に、東京都心千鳥ヶ淵に面した石垣の隙間にヒカリゴケらしきものが生育しているのを、近所に住む書道家の石川幸八郎が発見し、植物学者武田久吉井上浩の2名により生育地の調査が行われ、石垣の隙間に生育するコケがヒカリゴケであると同定された[4][5][6]

発見された生育地は堀の近くとはいえ、すぐ近くを首都高速都心環状線や、内堀通り靖国通りといった交通量の多い道路が走る千代田区九段の一角であり、東京都心という特異な環境で、通常の生育地とは著しく異なる特殊な生育環境である点が重視され[7]「江戸城跡のヒカリゴケ生育地」の指定名称で1972年(昭和47年)6月14日に国の天然記念物に指定された[1][3]

江戸城跡のヒカリゴケ生育地は通常の天然記念物と異なり、生育地の管理を行う環境省皇居外苑管理事務所による保全保護の方針から、ヒカリゴケの生育する正確な位置(指定地)は公表されていない[† 1]。北の丸公園の現地園内にも天然記念物であることを示す石碑や標識などは一切設置されておらず、一般に公開もされていない[8]。千代田区内にある唯一の国指定の天然記念物であり、東京23特別区内に所在する国指定の天然記念物6件のうち、最も都心に所在する国指定天然記念物である[† 2]
解説.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}江戸城跡の
ヒカリゴケ
生育地新宿区 江戸城跡のヒカリゴケ生育地の位置[† 1]
発見の経緯江戸城跡のヒカリゴケ生育地付近。2022年6月13日撮影。

1969年昭和44年)4月29日の午後2時頃、千代田区一番町在住の書道家石川幸八郎は、自宅からほど近い千鳥ヶ淵の畔を散歩していると、石垣の隙間に何かが光るものを目にした。奥を覗き込むと数百匹のホタルが集まるように固まって光るものがあり、さらに近付いて目を凝らして観察すると、それが黄緑色に光るコケのようなものであることに気が付いた[9]。もともと植物に関心を持っていた石川は「もしかしてヒカリゴケなのでは?」と思い、すぐに文化庁の記念物課へ連絡をした[5]。文化庁は文化財専門審議会専門委員(当時)で、石川の住む一番町や千鳥ヶ淵にも近い富士見 (千代田区)在住の植物学者武田久吉を石川へ紹介すると、約1週間後の同年5月8日に武田は石川に案内され現場を確認し、石垣の隙間に生育するコケはヒカリゴケに間違いないことが分かった[4][5]

自分の目で確認した武田であったが、東京都心部にヒカリゴケが生育することは、従来の植物学の常識では考え難かったため、武田は他の植物学者にも確認してもらう必要があると考え、蘚苔学の専門家で国立科学博物館植物研究員(当時)であった井上浩に連絡し、東京都内でのヒカリゴケ生育記録報告の有無を問い合わせた結果、井上から未記録との報告を受けた[4]。問い合わせを受けた井上も4日後の5月12日に石川と武田に案内され現地を訪れたが、石垣の隙間にヒカリゴケが生育するのを確認した井上は、にわかには信じられず目をこすって驚いたという[9]。一般には2,000m以上の高山で、空気の極めて清浄な所にしか分布しないものだ。

平地では埼玉県吉見百穴と、長野県南佐久郡岩村田しか生育が確認されておらず、低地にあるため非常に珍しくいずれも天然記念物に指定されている。

皇居の石垣はそれよりもなお低地でしかも大気汚染の中にあって生育していることは、学者の常識を破るものであり、また学問的にも価値のある存在である。まさに驚異的発見である。 ? 石川幸八郎『国の天然記念物に指定された皇居石垣のヒカリゴケとその保護』井上浩

この発見は当時の植物学者の間で話題となり[10]、武田は1969年発行の『武蔵野』の中で「之の武蔵野台地の一端にある千代田城壁に見ようとは夢想だにしなかったことである[4]」と率直な驚きの言葉を記している[3]。千鳥ヶ淵沿いで見つかったヒカリゴケの生育個所は、石垣の最下部、あるいは下から2番目ほどの間にある隙間で、それより上部の石垣からは確認されず、それぞれ石垣の隙間入口から50センチメートルから1メートルほどの場所に、大人の手のひら大に集まり群生したヒカリゴケが合計13か所から見つかった[9]

この経緯を井上から宮内庁侍従職を通じて知った昭和天皇は、ヒカリゴケの発見地が住まいのある皇居に隣接した場所であったことに驚き、植物学に深い造詣があったこともあり非常に関心を持ったという[9]


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