江戸城無血開城
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江戸開城(えどかいじょう)は、江戸時代末期(幕末)の慶応4年(1868年)3月から4月(旧暦)にかけて、明治新政府軍(東征大総督府)と旧幕府徳川宗家)との間で行われた、江戸城の新政府への引き渡しおよびそれに至る一連の交渉過程をさす。江戸城明け渡し(えどじょうあけわたし)とも江戸無血開城(えどむけつかいじょう)ともいう。徳川宗家の本拠たる江戸城が同家の抵抗なく無血裏に明け渡されたことから、同年から翌年にかけて行われた一連の戊辰戦争の中で、新政府側が大きく優勢となる画期となった象徴的な事件であり、交渉から明け渡しに至るまでの過程は小説演劇テレビドラマ映画などの題材として頻繁に採用される。

※以下、日付はすべて旧暦(天保暦)によるものである。目次

1 背景

1.1 戊辰戦争勃発と慶喜追討令

1.2 旧幕府側の主戦論と恭順論

1.3 新政府側の強硬論と寛典論


2 徳川家側の動き

2.1 諸隊の脱走と抗戦

2.2 天璋院・静寛院・輪王寺宮の歎願

2.3 山岡鉄太郎と西郷隆盛の交渉

2.4 焦土作戦の準備


3 勝・西郷会談

3.1 第一回交渉(3月13日)

3.2 第二回交渉(3月14日)

3.3 「パークスの圧力」


4 江戸城明け渡し

4.1 西郷の帰京と方針確定

4.2 城明け渡しと慶喜の水戸退去

4.3 榎本艦隊脱走

4.4 抗戦派と上野戦争

4.5 静岡藩の成立

4.6 江戸城から宮城へ


5 江戸開城の意義

6 略年表

7 フィクション作品への影響

7.1 小説

7.2 演劇

7.2.1 新劇

7.2.2 歌舞伎


7.3 映画

7.4 ドラマ

7.4.1 NHK大河ドラマ

7.4.2 その他



8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 参考文献

10 関連項目

背景
戊辰戦争勃発と慶喜追討令

慶応3年(1867年)10月大政奉還により政権を朝廷へ返上した15代将軍徳川慶喜は、新設されるであろう諸侯会議の議長として影響力を行使することを想定していたが、討幕派の公家岩倉具視薩摩藩大久保利通・西郷隆盛らが主導した12月初旬の王政復古の大号令とそれに続く小御所会議によって自身の辞官納地(官職・領土の返上)が決定されてしまう。慶喜はいったん大坂城に退くが、公議政体派の山内容堂(前土佐藩主)・松平春嶽(前越前藩主)・徳川慶勝(前尾張藩主)らの工作により、小御所会議の決定は骨抜きにされ、また慶喜も諸外国の公使に対して外交権の継続を宣言するなど、次第に列侯会議派の巻き返しが顕著となってきた。大政奉還の少し前の慶応3年10月13日そして14日には討幕の密勅が薩摩と長州に下される。江戸薩摩邸の活動も討幕の密勅を受けて活発化して定め書きを書いて攻撃対象を決めた。攻撃対象は「幕府を助ける商人と諸藩の浪人。志士の活動の妨げになる商人と幕府役人。


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