江戸前寿司
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江戸前寿司(えどまえずし、江戸前ずし、江戸前鮨、江戸前鮓)は、握り寿司を中心とした、江戸の郷土料理である。古くは「江戸ずし」「東京ずし」ともいった。江戸前の豊富で新鮮な魚介類を材料とした、寿司屋の寿司職人が作る寿司である。 狭義に「江戸前ずし」を「東京湾の魚介(江戸前)を使用したすし」、あるいは「明治の始めくらいまでの技法を中心としたすし」とすることもあるが、広義には、食材の産地や調理技法などに関わらず、東京で特に多く見られる「握りずしを中心とした寿司屋で提供されるすし」全般を「江戸前ずし」という(本稿では広義の「江戸前ずし」を対象とする)。 1728年に大阪で創刊された『料理網目調味抄』には、「箱寿司に酢を注ぐ」と記載されているように、それまで寿司と言えば、保存に重きを置いた大阪の箱寿司であった。一方江戸前寿司は江戸前の海(現在の東京湾の北部西側)は遠浅の干潟を抱えた天然の漁場であり、目の前で取れた魚介類を新鮮なうちに提供することが可能であった[注釈 1]。 北大路魯山人が『握り寿司の名人
概要
歌川広重の「東都名所高輪二六夜待遊興之図」「江戸自慢 高輪二六夜」では、浜辺に「寿司」の屋台が出て人々は花火を見て祭のように夜を楽しんでいた様子が描かれている[1]。
江戸時代に生産が始まった食酢を利用した寿司であり、なれ寿司とは全く異なっている。当初は米酢が使用されていたが粕酢が使用されるようになっていった[2]。当時この江戸前寿司がブームとなってついに寿司の主流となる。さらに関東大震災で被災し近畿に移住した職人により本格的な江戸前にぎりが普及し、戦後の「すし委託加工制度
」による影響もあいまって、江戸より100年も前から寿司を食していた近畿人の嗜好も変化するほどであり[3]、江戸前寿司が「寿司」として日本国外にも広がっていった。酢飯を軽くまとめ、その上に主に魚介の生身や〆たものや火を通したものを合わせて握る「握りずし」が中心であり、他にはカンピョウなどを巻いた海苔巻き(巻き物)、ちらしずし、イカの印籠ずしなどがある。家庭用のタネの販売もなされてはいるが、基本的には「寿司屋のすし」「職人のすし」である。 主に魚介の生身や酢締めしたもの、煮るや茹でるなど火を通したもの、卵焼きなどの「タネ」と握った酢飯を合わせたすしを指す。ワサビやショウガ、オボロを間にはさむ(または上にのせる)ことが多い。はがれやすいタネには、古くはカンピョウを使うことが多かったが、現代では海苔の帯をかける。握った酢飯のまわりを海苔で巻いて、イクラなどの小さなものや、ウニのようにやわらかくて握りにくいものを乗せたすしを「軍艦巻」といって、1941年(昭和16年)に銀座のすし屋「久兵衛」で考案されたものといわれる[4]。 握りずしは、「にぎり」と略されることがある。 江戸前握りずしの具材を「タネ」といい、逆さにした符丁で「ネタ」とも呼ばれる。その主なものに次のようなものがある。 以下の種は種類や産地を問わなければ、比較的年中安定して供給される。
江戸前握りずし
主な江戸前握りずしの種「握り寿司#寿司種」も参照
【春】
キス、シラウオ、サヨリ、カスゴ、ヒラマサ、トリガイ、アオヤギ、アサリ、ハマグリ、ホタルイカ、シャコ
【夏】
アジ、シマアジ、シンコ、スズキ、カツオ、ツブガイ、イサキ、タチウオ、エボダイ、アナゴ
【秋】
サバ、コハダ、イワシ、戻り鰹、カンパチ、ミルガイ、イクラ
【冬】
カジキ、ブリ、ハマチ、サワラ、ヒラメ、タイ、コウイカ、赤貝、ハマグリ、タイラギ、ホタテガイ、カニ、アマエビ