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出典検索?: "江幡高志"
えばた たかし
江幡 高志
本名江幡 高志[1]
別名義江波多 寛児
江波多 寛志
生年月日 (1928-12-15) 1928年12月15日(95歳)
出生地 東京
ジャンル俳優
活動期間1952年 - 現在
活動内容映画
テレビドラマ
備考
身長156cm 体重51kg
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江幡 高志(えばた たかし、1928年12月15日[2][1] - )は、日本の俳優。本名は同じ[2]。愛称は「エバタン」。
東京都出身[1](京都府説あり[2])。劇団新人会[3]、新劇場[3]、中里事務所[2]を経て、北斗七星プロジェクト所属。 明治学院大学経済学部中退[2]。石井漠舞踊研究所卒業[3]。1951年劇団俳優座の3期生出身[2]。同期には愛川欽也、楠侑子、穂積隆信、塚本信夫、渥美国泰らがいる。1955年に劇団新人会に入団後、1967年に新劇場の創立に参加[4]。 1952年、東映の『泣虫記者』で映画デビュー。デビュー時は江波多寛児という芸名で、70年代初頭は江波多寛志名義での出演作もある。 時代劇・現代劇問わず「小悪党の代名詞」として多数の作品に出演した(バラエティー番組に川合伸旺、八名信夫らと出演した際には「この人達は最後に主役に斬られて目立つからいいけど、自分はその前にこの人達に殺されてしまう」と笑って語っていた)。 その一方で、気のいい善人役を演じることもある。いずれにしても小悪党か小市民を長らく演じてきたが、『不思議少女ナイルなトトメス』のゲストでは総理大臣を演じた。 トーク番組が苦手なため、オファーがあっても断っていたが、『徹子の部屋』からのオファーがあった際には「(テレビ黎明期からよく知る)徹子さんの番組なら……」と快諾。 2001年3月14日には『笑っていいとも!』内のテレフォンショッキングにゲスト出演した(榎木兵衛からの紹介)。
来歴・人物
出演作品
映画
市川馬五郎一座顛末記 浮草日記(1955年、俳優座)
雨情(1957年、東宝)
裸の町(1957年、東宝) - 手代・山瀬
無鉄砲大将(1961年、日活) - 坂崎
散弾銃の男(1961年、日活) - 鎌
追跡(1961年、日活) - 鍋山
メキシコ無宿(1962年、日活) - パンドラ
江戸忍法帖 七つの影(1963年、東映) - 寝覚 幻五郎
五瓣の椿(1964年、松竹)
素敵な今晩わ(1965年、松竹)
日本暗黒街(1966年、東映)
兄弟仁義 関東兄貴分(1967年、東映)
三人の博徒(1967年、東映)
さそり (1967年、松竹)
人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年、東映) - 吉岡健一
極道(1968年、東映)
待っていた極道(1969年、東映)