江差駅
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江差駅
駅舎(2011年8月27日)
えさし
Esashi

上ノ国 (6.1 km)
所在地北海道檜山郡江差町字陣屋町231番地[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度51分24.02秒 東経140度7分40.06秒 / 北緯41.8566722度 東経140.1277944度 / 41.8566722; 140.1277944
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線江差線
キロ程79.9 km(五稜郭起点)
函館から83.3 km
電報略号エシ
駅構造地上駅
ホーム1面1線
乗車人員
-統計年度-70人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日1936年昭和11年)11月10日[1]
廃止年月日2014年平成26年)5月12日
備考路線廃止に伴う廃駅
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江差駅(えさしえき)は、かつて北海道檜山郡江差町字陣屋町(じんやちょう)231番地[1]にあった、北海道旅客鉄道(JR北海道)江差線廃駅)である。電報略号はエシ。事務管理コードは▲141417[2]

江差線の部分廃線に伴い[報道 1]2014年(平成26年)5月12日廃駅となった[報道 2][新聞 1][新聞 2]。なお、1988年(昭和63年)2月1日のJR松前線の廃止後は、道内最西端の有人駅であった[注釈 1]が、廃止に伴いその座を八雲駅に譲った。
歴史1976年の江差駅と周囲約500 m範囲。下が木古内、函館方面。駅舎前の短い単式ホームのみ。駅舎横の北側に切り欠き状の貨物ホームを有している。複数の留置線と駅裏の北側に転車台の残る小さな機関車庫を持つ。駅裏の南側には小さなストックヤードと引込線を有し、数両の貨車が留置されている。瀬棚線(廃線)の瀬棚駅同様に、当駅も港や中心地から1 km程南側に離れた立地条件が良いとは言えない位置にある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1936年昭和11年)11月10日官設鉄道江差線[3]湯ノ岱駅 - 当駅間開通に伴い[3][新聞 3]一般駅として開業[1][4]

1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。

1960年(昭和35年)10月1日準急えさし」運行開始[3][5]

1975年(昭和50年)12月11日:駅舎を木造から鉄筋コンクリート造に改築[6]

1980年(昭和55年)10月1日:急行「えさし」の廃止[5]に伴い、優等列車の停車がなくなる。

1982年(昭和57年)11月15日:貨物扱いを廃止[3]

1985年(昭和60年)3月14日荷物扱いを廃止[6]

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。

1988年(昭和63年)2月:江差線の湯ノ岱駅 - 当駅間をスタフ閉塞化。

1990年平成2年)9月1日:江差線の木古内駅 - 当駅間でワンマン運転を開始[7]

1999年(平成11年)12月 - 2003年(平成15年)3月:江差線の湯ノ岱駅 - 当駅間において、COMBAT(バリス式列車検知形閉塞装置)の試験を実施。

2012年(平成24年)9月3日:江差線の木古内駅 - 当駅間を2014年(平成26年)度初頭までに廃止することを、木古内町・上ノ国町・江差町に正式に伝達した旨を、JR北海道が正式に発表[報道 1]

2013年(平成25年)4月26日:JR北海道が木古内駅 - 江差駅間の廃止届を国土交通省に提出[報道 2]

2014年(平成26年)5月12日:江差線の木古内駅 - 当駅間の廃止に伴い廃駅[新聞 1][新聞 2]

駅構造

国鉄時代[いつ?]は貨物側線が多く存在し、急行「えさし」も発着していたが、晩年は単式1面1線ホームの地上駅だった。木古内ブロック所属の社員配置駅(管理駅)であった。江差線神明駅 - 上ノ国駅間を管理していた。窓口営業時間外は駅員不在のため、夜間連絡先は木古内駅となっていた(湯ノ岱駅を除く)。

駅舎にはみどりの窓口があった[6]。自動券売機が設置されていたが撤去された。トイレもあったが、営業時間外は施錠されていた。

改札業務は、開業当初を含めてしばらくの期間は入出場別の改札を行い(先の駅舎写真右側部分に出場用改札口の名残がある)[いつ?]、のちにみどりの窓口横に専用窓(後の写真「待合室・窓口」の改札口左側部分)を設けて改札を行っていた[いつ?]が、晩年に全列車がワンマン運転の車内精算となってからは、主に木古内駅五稜郭駅函館駅で特急に乗り継ぐための特急券を含めた乗車券購入により、みどりの窓口において乗車日当日の発券時点で改札業務をする以外[いつ?]は行われなくなった[6]。その関係で、晩年においては列車の乗降は無人駅と同じ扱いとなっていた。また、冬期は除雪車を運用する関係で当駅で滞泊せず、湯ノ岱駅まで回送し滞泊していた。

待合室・窓口(2010年9月)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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