江川ほーじん
[Wikipedia|▼Menu]

江川ほーじん
出生名江川芳仁
別名はひふへほーじん
生誕 (1961-06-15)
1961年6月15日(62歳)
出身地 日本大阪府
学歴大阪市立工芸高等学校中退
ジャンルJ-POP
職業ミュージシャン
ベーシスト
担当楽器ベース
活動期間1982年 - 2018年
レーベルCBSソニー
1984年 - 1989年

江川 ほーじん(えがわ ほーじん、1961年昭和36年〉6月15日 - )は、日本ミュージシャンベーシスト。本名は江川 芳仁(ほうじん)。一時期はひふへほーじんとクレジットされていたこともある(江川ほーじんと名乗ると、「江川こうじ」と間違われてしまうことが多かったため、自己紹介の際に「江川・はひふへほのほーじんです」などと名乗る癖があったことに由来する)。

2018年12月上旬に交通事故に遭い、意識不明の状態にあることがファンキー末吉のブログにて明らかにされた[1]
経歴

大阪府出身。大阪市立工芸高等学校中退。

1982年昭和57年)、ファンキー末吉らのアマチュアバンド「爆風銃(バップガン)」に途中加入。直後にファンキー末吉の誘いにより、「スーパースランプ」に在籍していたサンプラザ中野パッパラー河合とともに「爆風スランプ」を結成。ベースおよび作曲を担当した。

1989年(昭和64年/平成元年)初頭に、爆風スランプのプロデューサーであった新田一郎と音楽活動方針を巡って対立し、人気の絶頂期にあった爆風スランプを脱退。なお、この出来事により辞めていく江川の姿をなぞらえ、サンプラザ中野が作詞したのが「Runner」である[2]

織田哲郎らのプロジェクト「TOUGH BANANA」(舛添要一小西克哉が作詞に参加した全曲英語詞の異色アルバム)に参加した後、1990年に梅原達也、山根基嗣、堀尾哲治とともに「RHINOCEROS」を結成した。

その後、ウィック・ビジュアル・ビューロウのWGPオフィシャルビデオのオープニングとエンディングテーマを手がけたり、「Portfolio」などのバンド活動を経て、スタジオ・ミュージシャンとしての活動や、様々なミュージシャンとのセッションライブ等も行いながら、20数年ぶりに集結した爆風銃のメンバーたちと再始動へ向けて準備を進めていた。

2018年12月、交通事故により意識不明の重体となる。

2022年6月15日現在も自ら動くことはできない状態であり、ステージへの復帰は絶望的であるが、リハビリを開始している旨が「江川ほーじん募金 連絡委員会」より発表され、昏睡状態からは脱した模様である[3]
人物

機材への拘りも強く、自作のスピーカーボックスや自作のエフェクターボードなど使用。コンポーネントアンプの使用者で、1200Wや2400Wなどのシステムを組んでいる。パワーアンプはアキュフェーズを使用。エフェクター等はツアーによって頻繁に替えられている。
音楽性

江川の音楽性はファンク指向を根底に据えており、ラリー・グラハムから多大な影響を受けている。1997年ブルーノートでのGraham Central Stationのライブにてラリーとの共演を果たし、Graham Central Stationのカバーバンド活動も展開している。
RHINOCEROS(ライナセロス)

江川ほーじん(ベース)

梅原達也(ボーカル)元・
44MAGNUM。音楽性の違いから脱退

平野陽子(ボーカル)新ボーカル

山根基嗣(ギター)元・山水館、ノヴェラアクション

堀尾哲二(ドラム)元・TOPS

ディスコグラフィー
シングル

JUMP BACK,JACK(
1990年11月28日

FUTURE(1992年5月13日

and life(2010年

アルバム

SAVE THE RHINO(
1990年4月4日

FUNK ON THE RAILROAD(1991年1月18日

EAT THE BEAT(1992年6月17日

脚注[脚注の使い方]^ 爆風スランプ元メンバー、交通事故で現在も意識不明…ファンキー末吉が「募金」開設サンスメB2019年2月9日
^ “【1989年3月】Runner/BAKUFU-SLUMP 歌詞に込めた仲間へのメッセージ”. スポニチ (2012年3月19日). 2016年11月4日閲覧。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef