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江崎グリコ株式会社
Ezaki Glico Co.,Ltd.
江崎グリコ本社
(大阪市西淀川区歌島)
種類株式会社
市場情報東証プライム 2206
江崎グリコ株式会社(えざきグリコ、英: Ezaki Glico Co.,Ltd.[出典 3])は、大阪府大阪市西淀川区歌島四丁目に本社を置く食品メーカーである。
コーポレートメッセージは“すこやかな毎日、ゆたかな人生”(英語表記は「Healthier days , Wellbeing for life」)。創業1世紀(≒100周年)を迎えた2022年(令和4年)2月11日付で新たなCIが導入されたのに合わせて改められた[1]。
2015年10月1日に完全子会社だったグリコ乳業と経営統合し、菓子・食品・乳製品・健康食品などを製造・販売する総合食品メーカーとなった。社名はグリコーゲンに由来するという。
三和グループに属していてみどり会の会員企業である[出典 4]。
特徴江崎グリコ東京台場ダイバーシティ東京
チョコレート、スナック菓子、ガム、アイスクリームなどの菓子類とグリコ乳業から継承した乳製品が主な商品だが、レトルト食品も多数発売している。また、後発ではあるが、カレールーや炊き込みご飯の素、各種サプリメントといった食品事業も行っている。アイスクリームの自動販売機による直販事業「セブンティーンアイス」や、オフィス向け菓子直販事業の「オフィスグリコ」、またグリコ製品を取り扱う専門ショップ「ぐりこ・や」も運営している。また、過去には「グリコア」というファーストフード店舗を全国に展開していた。
菓子類の競合メーカーとしては明治・ロッテ・森永製菓・不二家・ブルボンなど、食品類での競合メーカーにはハウス食品・明治・エスビー食品などが挙げられる。
メインバンクは三和銀行(現在:三菱UFJ銀行)であり、同行系列の親睦会であるみどり会に加盟している。また、創業者の江崎利一が松下幸之助と長年にわたり公私ともに親交があったという経緯よりパナソニックグループとも関係が深く、その縁で営業目的にパナソニック製品が採用されていることがある。
グループ会社にグリコ栄養食品、アイクレオがある。うち食肉・チルド食品部門は、グリコ栄養食品からグリコハム(現在:フードリエ)に分社されたが、グリコハムは江崎グリコが保有する株式をエスフーズに売却してグループを離脱した。
1984年のグリコ・森永事件以降は、全ての商品の包装が一度開封すると元に戻せないように設計されている。
ロングセラー商品の中には、ポッキー、プリッツ、ペロティ、パナップ、パピコ、カプリコなど、パピプペポの音を含んだ物が多い[2]。取扱商品が余りにも多いため、商品の生産終了告知は一切しない方針を採っている。
広告活動
大阪・道頓堀詳細は「道頓堀グリコサイン」を参照道頓堀の6代目グリコ看板
大阪市中央区の道頓堀に架かる戎橋脇に西日本最大級のネオンサイン(初代は1935年(昭和10年)点灯開始、現在は2014年(平成26年)10月点灯開始の6代目[3])を設置している。
男性が両手と片足を上げたポーズをしている絵柄は、同社が最初に発売したキャラメル菓子の「グリコ」のパッケージからとったもので、企業のシンボルにもなっており、「ゴールインマーク」と呼ばれる(一般には「グリコポーズ」と呼ばれる。グリコ (菓子)#マークを参照)。このマークは「グリコ」以外の当社及び子会社が手掛ける全商品のパッケージにもglicoロゴとは別の箇所に小さく表示されている。訪日外国人にとっては観光地、訪問先の大阪を象徴するもののひとつであり、折からのSNS上の写真の公開という流れの中で、海外でもビジネスを行う同社にとって、単なる屋外広告をはるかに超える広告物として、多大な効果を挙げている。 創業者の江崎利一が佐賀県出身ということもあってか、「サガ・ライトファンタジー」(毎年11月から1月中旬まで開催)の期間中、JR佐賀駅南口に道頓堀と同様のネオン看板が設置される。但し、道頓堀の物よりもはるかに小さく、バルーンの世界大会「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の開催地に因んで背景にはバルーンが描かれているという相違点がある。また東京でも、渋谷スクランブル交差点の北東にある三千里薬局にも街頭ビジョン「グリコビジョン」(赤い壁面が目印)があり、オリジナルCMを放映している[4]。 UCC上島珈琲や伊藤園と同じく宝塚歌劇団のスポンサーでもある(宝塚大劇場内に広告を設置しており、また宝塚歌劇の公演プログラムにも広告が掲載されている。以前は東京宝塚劇場内にも広告が設置されていた)。他には劇団四季のミュージカルにも協賛。Jリーグの清水エスパルスのスポンサーも1993年のリーグ開幕当時から務めている。 2010年(平成22年)12月から2011年(平成23年)2月までの3か月にわたり、日本全国47都道府県をワゴンで縦断するキャラバン『日本縦断グリコワゴン』が展開された。 テレビCMの最後に流れるグリコのサウンドロゴは、グリコ乳業のCMと共通であり、これは1992年の現行ロゴタイプ導入時より使用されている。当初のロゴ映像は全画面の白バックでglicoロゴの筆記アニメーションのみが表示されていたが、1996年頃に同ロゴ上部に「おいしさと健康」のスローガンが追加され、2002年頃に全画面の白バックをやめてCM映像の右下隅への表示に変更されたが、2021年頃に全画面の白バックが徐々に復活した。また、サウンドロゴは15秒用と30秒用で異なり、30秒用はやや間延びしたものになっている。創業100周年を迎えた2022年2月11日以降は、ロゴ上部のスローガンを「すこやかな毎日、ゆたかな人生」に変更した[1]。テレビ・ラジオの提供番組については「#スポンサー番組」を、CMタレントについては「#CMイメージキャラクター」を、イベント協賛については「#主な協賛」を参照
その他
阪神甲子園球場
2005年から2016年までは阪神甲子園球場のバックネットフェンスの回転式看板に広告を入れていた。主にグリコの主力製品の広告が出されていた。また、バックスクリーン付近にも「グリコ」の広告を出していた[5]。
沿革創業者江崎利一
1919年(大正8年) - 創業者である江崎利一がカキの煮汁からグリコーゲンを採取し、それをキャラメルの中に入れた栄養菓子「グリコ」を製作。
1921年(大正10年) - 江崎利一が大阪市西区にて合名会社江崎商店を設立。
1922年(大正11年)2月11日 - 大阪の三越百貨店で「グリコ」を発売。この日を「江崎グリコ創立記念日」と制定。
その後「グリコ」は「ひとつぶ300メートル」のキャッチコピーをつけられ、利一の「子供の二大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」の考えにより、おまけを同梱したことにより、大ヒット商品となった。
1927年(昭和2年) - おまけ付きグリコ発売。日本最初の食玩。
1929年(昭和4年) - 株式会社江崎に組織変更。
1933年(昭和8年) - 酵母菓子「ビスコ」発売。日本で最初の豆文広告が登場。
1934年(昭和9年)
財団法人母子健康協会を設立。
2月 - (初代)グリコ株式会社に商号変更。
1935年(昭和10年) - 大阪・ミナミ戎橋に巨大ネオン広告(初代、高さ33mのネオン塔)登場。
1943年(昭和18年)
鉄材供出のため、大阪・戎橋の巨大ネオン広告を撤去。
2月 - (初代)江崎グリコ株式会社に商号変更。
1949年(昭和24年)12月 - (2代目)グリコ株式会社に商号変更。
1955年(昭和30年)
「アーモンドグリコ」を発売。
大阪・戎橋に巨大ネオン広告(2代目、砲弾型のデザインで下部に特設ステージがある)を設置。
4月 - テレビ映画『せむしの子馬』(ソビエト連邦で製作された映画。この年に放送を開始したラジオ東京テレビ(KRテレビ、現:TBSテレビ)で放映された)で初の番組提供。