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出典検索?: "江島" 宮城県
江島
陸前江島の空中写真。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(2018年4月28日撮影)
所在地 日本・宮城県牡鹿郡女川町
所在海域太平洋
所属諸島牡鹿諸島[1]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度23分55秒 東経141度35分38秒 / 北緯38.39861度 東経141.59389度 / 38.39861; 141.59389
面積0.36 km²
海岸線長3.73 km
最高標高76.5 m
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江島(えのしま)は、宮城県牡鹿郡女川町の沖合に浮かぶ島。神奈川県の江の島やその他の江島と区別して「陸前江島(りくぜんえのしま)」とも呼ばれる。島名は「江ノ島」、「江の島」と表記されることも多いが、「江島」とするのが正しい。 女川町中心部から見て南東の女川原子力発電所の正面にあり、牡鹿半島から伸びる江島列島[2]の中で、最大の島、唯一の有人島である。 全島が三陸復興国立公園に指定されている。島に平地はまったくなく道路は急勾配で狭隘、周囲は断崖絶壁に囲まれた厳しい島である。集落は島の北側に所狭しと集中している[3]。江島の名は、江島諸島の中で唯一入江があり、船を着けることができたことから名づけられた。長らく、地形的な問題から島に港を作ることができず、島に物資を運ぶ際には、沖に船を停泊させて艀に積み替えるしかなかったが、近年巨費を投じて島の北側と南西側に防波堤と埠頭が作られ、交通事情が改善した。だが、今なお1日3便の高速船がやって来るだけの離島である。 全島に篠竹が生い茂り、ウミネコやウトウの繁殖地である。江島の南東にある足島のウミネコは国の天然記念物に指定されている。周囲の海は魚の宝庫であり、ほぼ全ての住民が漁業に従事しており、釣り客の来島も多い。農業は上記のとおり適した平坦な土地が殆どないため、自給用の畑が点在する程度である。 厳しい海に囲まれているため、かつては島内の自治組織として講が作られ、鉄の結束を誇った。現在もなお、助け合いの精神が色濃く息づいている。
地理
面積 - 0.36km2[4]
最高地点 - 海抜76.5m
人口 - 50人(2020年11月末現在)[5]
島の伝承
11世紀 - 安倍貞任の弟である鳥海三郎が漁網を伝えたと言われている[6]。
1200年頃 - 源義経をかくまった罪で源頼朝に追われた奥州藤原氏の家臣にして、日詰(現紫波町)を領していた日詰五郎