江坂徳蔵
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江坂 徳蔵(えさか とくぞう、1885年(明治18年)10月4日 - 1964年(昭和39年)8月14日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍機関少将新潟県高田市長。
経歴

新潟県高田町(のち高田市、現・上越市)生まれ[2]。旧制高田中学(現・新潟県立高田高等学校)卒業後、海軍機関学校に入り、1911年(明治44年)卒業する(16期)[2]。戦艦「山城」機関長などを歴任し[3]1927年(昭和2年)、海軍機関大佐に進級、第3戦隊、練習艦隊、第2艦隊、連合艦隊の各機関長を務め[3]1933年(昭和8年)海軍機関少将に進級[1]、燃料廠平壌鉱業部長に就任し[1]1936年(昭和11年)3月、予備役となった[1]。同年7月、郷里の高田市長に就任した[2]。市長在任中は市のガスを石炭ガスから天然ガスに切り替えた[4]。一方、議会に対し、速記録印刷廃止を提案、議員の反発を受けた[4]1938年(昭和13年)8月「一身上の都合」により、市長を辞職[5]。その後は実業界に転じた[2]。戦後、公職追放となり[6]、1964年(昭和39年)に死去した。墓所は多磨霊園
脚注^ a b c d 『日本海軍将官辞典』71頁
^ a b c d 『高田市史』第2巻 366頁
^ a bThe page31. (ヒト-海機16期)
^ a b 『高田市史』第2巻 367頁
^ 『高田市史』第2巻 372頁
^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、7頁。NDLJP:1276156。 

参考文献

『高田市史』第2巻 高田市史編集委員会/編 高田市 1958年。

福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。

外部リンク

The page31. (ヒト-海機16期)










新潟県高田市長
官選

倉石源造1912.1.6-1921.5.13

河島良温1921.8.6-1924.10.7

川合直次1924.10.29-1936.2.2

江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27

中川潤治1938.10.6-1945.3.4

川上大造1945.5.30-1946.11.20

公選

関威雄1947.4.5-1955.1.20

川澄農治1955.3.15-1963.3.14

小山元一1963.4.30-1971.4.28(廃止)

カテゴリ










新潟県上越市長
1971年4月29日合併

高田市長

官選

倉石源造1912.1.6-1921.5.13

河島良温1921.8.6-1924.10.7

川合直次1924.10.29-1936.2.2

江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27

中川潤治1938.10.6-1945.3.4

川上大造1945.5.30-1946.11.20

公選

関威雄1947.4.5-1955.1.20

川澄農治1955.3.15-1963.3.14

小山元一1963.4.30-1971.4.28


直江津市長

川澄農治1954.6.1-1955.2

柳沢徹隆1955.4.30-1962.4

佐藤策次1962.7-1971.4.28


合併後

小山元一1971.6-1973.12

植木公1974.2-1993.11

宮越馨1993.11-2001.11.8

木浦正幸2001.11.9-2009.11.8

村山秀幸2009.11.9-2021.11.8

中川幹太2021.11.9-

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