江合川
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江合川
冬の鳴子温泉を流れる江合川(2007年2月)
水系一級水系 北上川
種別一級河川
延長79.961 km
平均流量-- m³/s
流域面積591.3 km²
水源荒雄岳(大崎市)
水源の標高-- m
河口・合流先北上川(石巻市)
流域宮城県
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江合川(えあいがわ)は、宮城県北部から中部を流れる河川一級河川である北上川の支流の一つで、荒雄岳に端を発し[1]大崎市涌谷町を流れ、石巻市で旧北上川に注ぐ。

源流から河口までの全長は約93キロメートル[2][3]、幹川流路延長は約79.9キロメートル。流域面積は約591平方キロメートル[4]

流域は概ねかつての玉造郡全域に相当し、かつては玉造川と呼ばれていた[1]。このほか荒雄岳周辺の源流域では荒雄川と呼ばれている[5]
概要拡大 禿岳山頂からの鬼首カルデラの眺望。中央右よりに上大沢ダム(かむろ湖)が見えている。

江合川は、荒雄岳に発し、鬼首カルデラ鳴子ダムを経て大崎平野に流入する。歴史的には、広淵沼、定川を経て石巻湾に注いでいた時期や鳴瀬川と合流していた時期があり、江戸時代の河川改修で北上川に注ぐようになった。その後北上川の下流の河道改修によって、現在は旧北上川に注いでいる。

主な支流に、大谷川田尻川、出来川、新江合川など。このほか大崎平野には数多くの水路が張り巡らされ、一帯の河川を相互につないでいる。

田尻川、江合川、出来川、鳴瀬川などが並走する一帯はかつての氾濫原で、数多くの沼沢地があった。そのところどころにある丘陵地に居住地が形成されていて、古代から江合川に沿って太平洋側(陸奥国)と内陸や日本海側(出羽国)を結ぶ連絡路が通じていた。流域は平安時代から風光明媚で知られ、数多くの歌人によって流域の風景を詠んだ和歌が伝わっている。

その一方で、極端な平坦地に多数の河川が集中する大崎平野は洪水に悩まされてきた。近世から昭和期に至るまで断続的に河川改修が行われるとともに、沼沢地の干拓が行われた結果、流域の湖沼の多くは姿を消した。
流路の概要と流域史

拡大 荒雄川神社(里の宮)拡大 荒雄岳周囲を一周りする荒雄川拡大 鳴子ダムと荒雄湖

呼称

江合川は、荒雄岳に発し、玉造郡を貫流する。かつては岩出山の扇状地よりも上流側を「荒雄川」、中流以降を「玉造川」と呼んでいた。はっきりとした時代や由来は不詳だが、下流で河道改修が行われた結果、川が合流するの意で下流を「江合川」と呼ぶようになったと考えられている[6]。いまでも上流側を中心として「荒雄川」の通称が使われており、国土地理院地図などでも「荒雄川」の名称が併記されている。
荒雄川神社

江合川(荒雄川)は古来より氾濫を繰り返し、犠牲者を出してきた。流域では水の神と温泉の神を祭祀する荒雄川神社が営まれてきた。荒雄川神社は延喜式神名帳掲載の「荒雄河神社」に比定され、源流域の荒雄川神社(奥の宮)と、上流域の荒雄川神社(里の宮)が現存する[7]。里の宮には源義家が黄金の太刀を奉納したと伝わる[8]

ほかにも、特に下流域を中心に36の「荒雄川神社」(三十六所明神[7])があったとされるが、江戸時代に河川改修が行われる時に、「里の宮」にこれらを合祀したと伝わる。この「里の宮」から上流側は「荒雄川」、下流側は「玉造川」と呼ばれていたという[6]

本節では便宜上、鳴子ダムまでを「源流域」、鳴子ダムから岩出山町の扇状地の入り口までを「上流域」、大崎平野までを「中流域」、それ以降を「下流域」と大別する。
源流域(荒雄川・鬼首村)

江合川は、源流域の大崎市北西部(旧鳴子町)では荒雄川と呼ばれている。荒雄川神社では荒雄川が祀られており、源流域の鬼首地区には「奥の宮」と呼ばれる荒雄川神社がある[6][7]

荒雄川は荒雄岳(標高983.9メートル[注 1])一帯の沢を源としている。荒雄岳は、かつての火山帯の分類では那須火山帯に属していて、直径7キロメートルほどの円錐状の主峰と環状の鬼首カルデラ(鬼首盆地)、その外輪山をもっている。荒雄川は荒雄岳主峰と外輪山のあいだの鬼首カルデラを反時計回りに、東、北、西、南と曲流、ほぼ一周している[5][10]

この環状の盆地帯には、陸奥国出羽国を結ぶ主要路の一つ最上仙北通(現在の国道108号、別称「羽後街道」「鬼首海道」)が通じて、古くから軍事上の重要路になっていた[11][注 2]。江戸時代には仙台藩秋田藩山形藩の国境となって藩の番所が設置されていた[12]

荒尾川の左岸にあたる荒雄岳の西麓から南麓にかけての一帯には鬼首温泉がある[13]。荒尾川の支流の沢に沿っていくつもの温泉が古くから開湯しており、間欠泉鬼首地熱発電所が分布している[5]。このあたりを流れる沢のなかには、自然に湧出した温泉が高温のまま流れる「湯の川」のようになっているものもある[6]

荒雄川の右岸は、禿岳(標高1261.4メートル)などからなる鬼首カルデラの外輪山が取り囲んでいる。その中腹はなだらかな斜面になっていて、スキー場などのリゾート開発が行われた。しかしその開発の結果として洪水の流出増加が危ぶまれ、新たに上大沢ダム(2003(平成15)年完成)が建設された[14]

荒雄岳のまわりを一周した荒雄川は、南へ転じて花渕山(標高984.9メートル)の東側の峡谷を南流する。ここには1957(昭和32)年に鳴子ダムが築かれており、そのダム湖は荒雄湖と命名されている[5]
上流域(鳴子町・美豆の小島)拡大 大谷川の鳴子峡拡大 鳴子温泉

鳴子ダムの下流で、右岸から支流の大谷川をあわせる。大谷川は源流域で山形県との県境になっている川で、江合川に合流する手前では、花渕山の裾野で落差100メートルの断崖に挟まれた険しいV字谷鳴子峡を形成している[5]

その崖上には、ここを通過する中山越出羽道(現在の国道47号)の尿前(しとまえ)関所が置かれていた[15]。当地を古代から歌に詠まれた「いはての関」に比定する説もあり[15][注 3]松尾芭蕉の『おくのほそ道』にはここを通過した際の記述が残されている[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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