えはら たつよし
江原 達怡
ひまわり社『ジュニアそれいゆ』15号(1957)より
生年月日 (1937-03-26) 1937年3月26日
没年月日 (2021-05-01) 2021年5月1日(84歳没)
出身地 日本東京府
死没地 日本長野県
国籍 日本
職業俳優
活動期間1948年 - 2021年
配偶者あり
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江原 達怡(えはら たつよし[1]、1937年[1]3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身[1]。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演[1]。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。 1970年代初め頃から実業家に転身。俳優としての仕事は減少したが、1999年の映画『メッセンジャー』に出演、DVDのオーディオコメンタリーや企画番組に登場するなどその後も度々元気な姿を見せていた。また、長野県で美術館の経営なども行っていたり、環境ジャーナリストを自称していた。 2021年5月1日11時26分、病気のため、長野県の自宅で死去[2][3]。84歳没。 スポーツ万能で、スキー、ゴルフの腕はプロ並み。スキーにおいては、『ニュージーランドの若大将』で、スキーができない酒井和歌子のスタントマンを務め、見事な滑走を披露している。また、プロ並の自動車運転技術も持っていて、『ゴー!ゴー!若大将』では、劇中のラリーの指導も行っており、加山に負けず劣らずの才能ぶりである。しかし、反面では水恐怖症のため、カナヅチで水泳は全く出来ないという。『ハワイの若大将』では、劇中で海に突き落とされるシーンがあったため、撮影前に出演辞退を申し出たというエピソードがある。 俳優・児玉清の著作「負けるのは美しく」の中に、児玉が新人時代に喫茶店でサインを求められたとき、同席していた既にスターだった年下の俳優が「この人は雑魚だから、もらっても意味がない」と当時なりの悪意のない発言をするエピソードがあり、前後の関係から江原のことと推察される(同書には江原の実名はない)。 『若大将シリーズ』で共演した加山とは大学時代からの顔馴染みで、最期まで深い親交を持っている。
来歴
人物
主な出演作品
映画
思春期(1952年8月28日、東宝)
続思春期(1953年7月1日、東宝)
十代の性典(1953年2月5日、大映)
青色革命(1953年6月10日、東宝)
十代の誘惑(1953年12月29日、大映)
真白き富士の嶺(1954年8月4日、大映)
兄さんの愛情(1954年12月22日、東京映画)
制服の乙女たち(1955年5月25日、東宝)
娘の縁談(1955年6月1日、大映)
夏目漱石の三四郎(1955年8月31日、東宝)
ジャンケン娘(1955年11月1日、東宝)
朝霧(1955年11月8日、東宝)
幸福はあの星の下に(1956年2月5日、東宝)
チエミの初恋チャチャ娘(1956年2月18日、東宝)
チエミの婦人靴(1956年4月25日、東宝)
大暴れチャチャ娘(1956年5月24日、東宝)
不良少年(1956年6月1日、東宝)
新婚第一課(1956年7月20日、東宝)
ロマンス娘(1956年8月15日、東宝)
大学の侍たち(1957年9月22日、東宝)
サザエさんシリーズ(東宝)
サザエさんの結婚(1959年1月9日)- ノリオの結婚式受付[注釈 1]
サザエさんの新婚家庭(1959年8月23日)- 辰野
サザエさんの赤ちゃん誕生(1960年2月28日)- 辰野
サザエさんとエプロンおばさん(1960年12月25日、宝塚映画)- 辰野[注釈 2]
福の神 サザエさん一家(1961年3月28日、宝塚映画)- 辰野
愚連隊シリーズ(東宝)
独立愚連隊(1959年10月6日、東宝)
独立愚連隊西へ(1960年10月30日、東宝)
黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年3月13日、東宝)