江南町
[Wikipedia|▼Menu]

こうなんまち
江南町
文殊寺


江南町旗江南町章

廃止日2007年2月13日
廃止理由編入合併
江南町→熊谷市
現在の自治体熊谷市
廃止時点のデータ
日本
地方関東地方
都道府県埼玉県
大里郡
市町村コード11402-2
面積22.34 km2.
総人口12,164人
(2007年2月1日)
隣接自治体熊谷市深谷市
比企郡滑川町嵐山町
町の木アカマツ
町の花サクラ
町の鳥キジ
江南町役場
所在地360-0192
埼玉県大里郡江南町中央一丁目1番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度06分55秒 東経139度20分06秒 / 北緯36.11519度 東経139.33494度 / 36.11519; 139.33494座標: 北緯36度06分55秒 東経139度20分06秒 / 北緯36.11519度 東経139.33494度 / 36.11519; 139.33494

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

江南町(こうなんまち)は、埼玉県の北部に位置していたである。町名は荒川の南岸にあるため、昔から江南地域と呼ばれていたことに由来する。

熊谷市との合併調印が締結され、2006年11月10日に総務大臣より告示された。これにより2007年2月13日、江南町は熊谷市に編入合併した。
地理

埼玉県北部の大里郡南端、荒川の右岸に位置する。町北部は荒川の沖積地帯にあり、町中央部は、江南台地と呼ばれる洪積台地上にあり、町南部は比企丘陵北端にあたる。

沖積地は荒川の氾濫原で、台地下部を東流する和田吉野川以北に広がり、部分的に下位段丘は、深谷市(旧川本町)畠山から江南町三本まで見られ、これより下流では沖積地へ埋没していると考えられている。沖積地との比高差は1m前後で、段丘礫層で構成されており、ローム層に被覆されていない。沖積地は、現在土地改良が行われ、穀倉地帯となっており、その中に自然堤防状の微高地が点在し、集落が存在している。標高46 - 34m、荒川との比高差9 - 12mを測る。
江南台地

江南台地は、寄居町金尾付近より江南町を経て、熊谷市吉岡地区・大里地区(旧大里町)に至る東西17km、南北3kmにわたる幅狭な洪積台地である。江南台地は、台地の基盤となる荒川中位段丘の発達した第三紀層上に秩父古生層を起源とする砂礫層(層厚8 - 20m)の上に、川本粘土層とされる灰白色の粘土層(層厚2 - 5m)、下部を新期ローム層(層厚1 - 2m)に、また、上部を南関東の立川ローム層に対比されている大里ローム層と称されているローム層(層厚1 - 2m)が堆積し、表層に腐植土がのっている。台地の海抜高度は、上流の寄居町木持付近で140m、深谷市(旧川本町)上本田付近で80m、台地末端にあたる熊谷市平塚新田付近で45mとなり、下流方向にしだいに低くなっている。台地の北・東側は、荒川およびその沖積地に面し、比高差10 - 15m程の崖線で画され、崖線下には和田吉野川が流れている。台地上には平地林が発達し、狭小な開析谷や埋没谷が複雑に入り組み、その最奥部および開口部には溜池が築かれており、独特な自然景観を醸し出している。
比企丘陵

比企丘陵は外秩父山地から東方に半島状に突き出した丘陵であり、北部は江南台地、南部は東松山台地、東部は吉見丘陵に接している。丘陵内では、高根山(標高105m)、二宮山(標高132m)、大立山(標高113m)など標高100m前後の山が、丘陵の西半分の地域に散在して突出した地形をつくるが、全体的には100m以下の丘陵地形をつくっている。丘陵内部には、市ノ川・滑川およびその支流による開析が進み、広い谷底と小谷が発達している。この開析谷は、北西 - 南東あるいは南北の方向をもつものが多く、これらの谷頭は丘陵の北側に極端に偏り、分水嶺は丘陵の北縁近くに偏在する。このため、丘陵北縁を東流する和田川の支谷は、未発達となっている。

江南町域においては、高根山から派生する丘陵と、滑川町和泉地区から派生する二つの尾根筋があり、嵐山町とは西側の谷を流れる滑川で区分されている。

本丘陵は、地質学的には新生代第三紀層に相当し、礫岩・砂岩・泥岩・凝灰岩等の互層によって構成されている。層序は、下位より、前期中新世に属する七郷層(凝灰岩質で緑色変質が特徴。層厚830m以上)、中期中新世に属する小園層(粗粒砂岩を主体とし、礫岩・泥岩・凝灰岩を伴う。層厚300m。)、荒川層(砂岩・泥岩の互層で、下部に礫岩を伴う。層厚350m)、土塩層(砂質泥岩を主体とし、砂岩・凝灰岩を伴う。層厚350m)、後期中新世に属する楊井層(礫岩を主体とし、砂岩・凝灰岩を伴う。層厚300m)となり、これらの中新統を不整合に覆って更新世に属する物見山礫層が分布している。
隣接していた自治体

熊谷市

深谷市

比企郡

滑川町

嵐山町


歴史「埴輪 踊る人々」(東京国立博物館蔵)

町の台地上から旧石器時代縄文時代の遺物が出土する。前方後方墳2基を含む塩古墳群が所在する。埼玉県北部の代表的な古式古墳群(古墳時代前期群集墳)である。20基以上の円墳からなる野原古墳群からは男女1対の踊る埴輪東京国立博物館蔵)が出土した。合わせて90基以上の古墳が現存する。古代の武蔵国男衾郡に含まれ、出雲乃伊波比神社は延喜式内社と伝えられる。また1227年嘉禄3年)銘のある日本最古の板碑が残る。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef