江北駅*
北口側から見た駅舎(2022年9月)
こうほく
Kōhoku
江北駅(こうほくえき)は、佐賀県杵島郡江北町大字山口にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。 2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴って肥前山口駅(ひぜんやまぐちえき)から改称した[4][5]。 西九州新幹線武雄温泉駅 - 長崎駅間開業までは、佐賀県中部地域の鉄道交通の要衝だったが、一部の特急「かもめ」は通過していた。当駅の所属線である長崎本線[3]と、当駅を起点とする佐世保線[6]の2路線が乗入れている。佐世保線の列車は一部の普通列車を除いて長崎本線鳥栖駅方面に直通している。 国鉄時代から長崎駅・佐世保駅発着特急列車は当駅での連結・切離しが多かったが、2011年3月12日のダイヤ改正により「かもめ」「みどり(・ハウステンボス)」の連結運転が終了し、当駅で連結・切離しを行う特急列車は消滅した[注釈 1]。現在は肥前浜駅・早岐駅発着の普通列車1往復の連結・切離しのみが行われている。2016年3月25日まではこれとは別に、「みどり」1往復が「ハウステンボス」編成の連結・切り離しを行っていたが、翌日のダイヤ改正で当駅での連結・切離しが無くなり、当駅での特急列車の連結・切り離しシーンは完全に姿を消すことになった。 また、1989年5月1日に名寄本線・天北線が廃止されて以降、最長片道切符の終着駅となっていたが、2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴い、その座を新大村駅に譲った。2004年、NHKの番組『列島縦断 鉄道12000キロの旅 ?最長片道切符でゆく42日?』の放送を記念した、「JR最長片道切符の旅ゴール 肥前山口駅」と書かれた記念碑が駅北側に建てられたが、管理する江北町は2022年の時点で、記念碑の撤去は考えていないとしている[7]。 2002年からワンマン運転が導入された。当初は長崎本線当駅以西及び佐世保線のみが対象だったが、翌年に長崎本線全線に拡大された。ワンマン運転の列車は当駅で精算方法が変わり、鳥栖駅 - 当駅間の長崎本線では車内精算を行わなくなったが、2022年9月より佐賀駅 - 当駅では車内精算が再開された。また、基本的に普通列車の乗務員交代(南福岡運転区・久留米運輸センター・博多運転区と長崎総合乗務センター)もこの駅を境に行われる。但し、長崎駅や佐世保駅から鳥栖駅まで乗通す乗務(長崎総合乗務センター所属運転士)、長崎駅から博多駅まで約155 kmを普通列車に乗り通す乗務(南福岡運転区所属運転士など)も存在する。 2022年からは長崎本線長崎方面及び佐世保線から気動車による普通列車が再度当駅まで運転されるようになった。
概要
歴史
年表
1895年(明治28年)5月5日:九州鉄道(初代)の山口駅(やまぐちえき)として開設[3]。
1898年(明治31年)11月27日:鳥栖駅 - 山口駅 - 早岐駅 - 長崎駅(現・浦上駅)間の九州鉄道長崎線が全通(現在の長崎駅までの延伸は1905年)。
1907年(明治40年)7月1日:九州鉄道が国有化され、帝国鉄道庁に移管[3]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、長崎本線の駅となる。
1913年(大正2年)3月1日:山口県の鉄道院山口駅が同年2月20日に開設したことに伴い、駅名重複を避ける目的から肥前山口駅(ひぜんやまぐちえき)に改称[3][注釈 2]。
1930年(昭和5年)
3月9日:有明線肥前山口駅 - 肥前竜王駅間開業に伴い、長崎本線と有明線の駅となる。
11月30日:有明線が肥前浜駅まで延伸。
1934年(昭和9年)
3月24日:有明西線の諫早駅 - 湯江駅間開業に伴い、有明線を有明東線に改称。
4月16日:有明東線が多良駅まで延伸。
12月1日:多良駅 - 湯江駅間が開業し、肥前山口駅 - 肥前鹿島駅 - 諫早駅間が全通。長崎本線は肥前鹿島駅経由ルートに変更され、従来のルートは早岐駅を境に佐世保線、大村線として分離される。これにより当駅は長崎本線と佐世保線の駅となる。
1962年(昭和37年)2月15日:貨物取扱廃止[3]。
1976年(昭和51年)6月6日:長崎本線(喜々津駅 - 長与駅 - 浦上駅間を除く)及び佐世保線が電化される。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる[3]。