この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "汐見橋駅"
汐見橋駅*
壁面アートが描かれた駅舎(2021年3月)
しおみばし
SHIOMIBASHI
(0.9 km) 芦原町 NK06-4►
所在地大阪市浪速区桜川三丁目8-74.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分5.66秒 東経135度29分10.2秒 / 北緯34.6682389度 東経135.486167度 / 34.6682389; 135.486167 (汐見橋駅*)座標: 北緯34度40分5.66秒 東経135度29分10.2秒 / 北緯34.6682389度 東経135.486167度 / 34.6682389; 135.486167 (汐見橋駅*)
駅番号NK 06-5
所属事業者南海電気鉄道
所属路線■高野線(汐見橋線)
キロ程0.0 km(汐見橋起点)
電報略号シオ
駅構造地上駅
ホーム1面2線
乗降人員
-統計年次-646人/日
-2019年-
開業年月日1900年(明治33年)9月3日
乗換桜川駅(千日前線・阪神なんば線)
備考* 1901年に道頓堀駅から改称
テンプレートを表示
汐見橋駅(しおみばしえき)は、大阪府大阪市浪速区桜川三丁目にある、南海電気鉄道高野線(汐見橋線)の駅。駅番号はNK06-5。南海電鉄では最も北に位置する駅である。 頭端式(島式)1面2線のホームを持つ地上駅である。ホームは2番線まであるが、大半の列車は1番線を使用する。かつては貨物専用ヤードも併設していた。 高野線の正式な起点であり、1985年に大阪市の都市立体交差事業が行われる以前は、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅)以南と直通していたため、当駅から高野線本線との一部区間運転列車が存在していたが、立体交差事業の実施後は線路が分断されたため直接高野線本線に乗り入れることが不可能となり、当駅からは岸里玉出駅までの区間列車のみが運転されることとなった。 駅舎はホームの北端に接している。自動改札機はあるが、自動精算機はないため、精算が必要な時は駅員に申し出なければならない。コンコース中央に出札口が残されているが、現在は封鎖されている。駅名標も駅番号をシールで追記したのみで旧来の手書きで書かれたスタイルが長い間残されていたが、2016年7月現在は駅番号入り(次駅の芦原町駅の番号も表記)で中国語・韓国語併記の現行デザインに更新されている(ラインカラーは高野線の緑色)。 駅舎内の改札上部の壁にはかつて昭和30年代当時の「南海沿線観光案内図」が掲示されていたが、劣化が進み一部剥落するなどしたため(下の写真参照)、南海電鉄は2016年3月1日に案内図を撤去し[3]、同年10月29日に開催された「南海電車まつり」にて、小分けにされ販売された[4]。その後の2021年5月28日、撤去された観光案内図をモチーフにした新たな観光案内図が設置された[5][6]。 2020年9月24日から駅舎外観に「1900年代頃の賑わいあふれる汐見橋駅」というテーマで壁面アートが制作され、10月4日に完成した[2]。 トイレは改札内にある。長らく男女共用の和式便器が設置されていたが、2021年4月にリニューアルされ男女別・洋式便座となった[6]。 1993年(平成5年)4月18日から1995年(平成7年)8月24日までは、岸里玉出駅の高野線側の高架化工事により、レールがどの路線とも接続していなかった。そのため、この間は2番線に検修設備を置き、暫定的な車庫として使用していた。 新大阪駅とJR難波駅・南海新今宮駅を結ぶ路線として計画中(2019年9月現在)のなにわ筋線は、当初の構想では南海については新今宮駅ではなく当駅に接続するとされていた[7]。それによると、汐見橋線の木津川駅 - 当駅間が地下化され、当駅の北方で東に曲がってなにわ筋の地下へ至ることになっていた。新今宮接続との決定がなされたことにより、当駅のみならず汐見橋線自体の存続が危ぶまれている状況である。2019年8月13日付『日本経済新聞』には、「今のところ汐見橋線の廃止の計画はない」という南海側のコメントが寄せられており、沿線活性化の試みも始められている[8]。
歴史1935年頃の駅舎と貨物ホーム
「南海鉄道発達史」(1938年)より
1900年(明治33年)9月3日:高野鉄道が大小路駅(現・堺東駅)から延伸した際の終着駅にあたる道頓堀駅として開業。
1901年(明治34年)1月1日:汐見橋駅に改称。
1907年(明治40年)11月15日:会社合併により高野登山鉄道の駅となる。
1915年(大正4年)4月30日:社名変更により大阪高野鉄道の駅となる。
1922年(大正11年)9月6日:会社合併により南海鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
1945年(昭和20年)3月17日:空襲により被害を受ける[1]。
1947年(昭和22年)6月1日:路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
1949年(昭和24年)6月:戦災復旧工事(当駅貨物ヤード関係その他)竣工。
1956年(昭和31年)11月16日:駅舎改築完成[1]。
2020年(令和2年)10月4日:駅舎外側に壁面アート完成[2]。
駅構造
改札付近(2005年8月12日)
南海沿線(旧)観光案内図(2016年2月26日)。撮影日の4日後に撤去された。