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出典検索?: "永田萠"
バスケットボール選手の「永田萌絵」とは別人です。
永田 萠(ながた もえ、1949年1月1日 - )は、日本の絵本作家。兵庫県加西市生まれ。京都府京都市在住。成安女子短期大学意匠科卒業。既婚。
出版会社で版下作成の仕事を経験した後、そこで得た技術を活かし、カラーインクを駆使したイラストで高い評価を受けるイラストレーターとなった。京都市子育て支援総合センターこどもみらい館と姫路市立美術館の館長を務める。
株式会社妖精村、ギャラリー妖精村の主宰者である。 永田本人が認めているようにいわさきちひろの影響を受けているが、いわさきが人間の子供を題材にした水彩画で知られているのに対して、永田は、カラーインクの鮮やかな色彩を活かした妖精や花を中心とした独特の作風である。 1987年にボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞するなど、絵本作家としての高い評価を得ている。 絵本のほかにも多くの商業イラスト(和服のデザイン等[1])を手がけている。2000年の淡路花博ジャパンフローラ2000においては、公式ポスターと、マスコットキャラクター「ユメハッチ」のデザインを手がけた。 郵政省発行「ふみの日」キャンペーン切手イラストを、1982年、1983年、1984年、1988年、1990年、1991年と担当。他にも多くのイラストが、郵政省発行記念切手のデザインとして採用されている。1990年には郵便局のイメージキャラクターのデザインを手がけている。 また、エッセイストとしての活躍もめざましい。 意外にも好角家であり、大相撲春場所のゲスト解説者として、NHKに招かれたことがある。 夫は、永田自身が大ファンである絵本作家のHATAO
作風と評価
なお、人気の高さゆえか、商店のシャッター、保育園の送迎バス等には、永田の絵の模写を描く者が多い[要出典]。 学生時代より京都に居住し、以来変わることなく仕事と生活の基盤を京都に置いている。引越し魔で、京都市内だけで16回引越している。 著書は130冊を超える(2007年現在)。
京都
画集・著書
もえと妖精たち(1978年、イズミデザイン)
妖精村の四季のうた(1979年、イズミデザイン)
妖精の季節(とき)(1980年、サンリオ)
妖精村通信(1980年、講談社)
夢時計のまわる夜(1980年、CBSソニー出版)
風の中のつぶやき(1981年、サンリオ) 文:水原えり
一輪ざしのバラード(1981年、サンリオ) 文:きのゆり ISBN 4-387-81039-4
夢色道化師(1981年、PHP研究所)
新版/もえと妖精たち(1981年、世界文化社)
トランプストリート(1981年、講談社)
たそがれ猫のロンド(1981年、CBSソニー出版)
風の子伝説(1982年、世界文化社)
たまゆら(1982年、サンリオ)
ITSUKA・どこか遠くの空へ(1982年、白泉社)
妖精たちの花祭り(1983年、集英社)
うみのいろのバケツ(1983年、講談社) 文:立原えりか
コスモスパーク(1983年、白泉社) ISBN 4-592-76024-7
夢染人(1983年、河出書房新社)
野原のオルゴール(1984年、世界文化社)
ばらいろのもり(1984年、講談社) 文:立原えりか
しろいおくりもの(1985年、講談社) 文:立原えりか
みんな小さな贈りもの(1985年、妖精村
幻想旅行(1985年、白泉社)
イエスさまが生まれた(1985年、聖パウロ女子修道会) 文:わきたあきこ
京都夢見小路(1985年、東京書籍) ISBN 4-487-75058-X